珠玖深原 紗季でタグ「依頼」が付けられているもの

紗季です。ご無沙汰いたしております。

 まずは経理関連のご報告です。
前年度は剰余金(会社で言う「利益」にあたるもの)がマイナス計上となりましたので、今年度の予算から金1万円、および有志の祈祷師からそれぞれ金1万円ずつを公益財団法人日本財団様に東日本大震災復興プロジェクトの活動資金として寄付させて頂きました。
震災の日から2年半が経過し、今でも現地では復興へ向けて大変な尽力をされている方が大勢おられます。
遠くから視線を送るだけでなく、今一度自分たちのできること、自分たちの役割を再認識してまいりたい所存です。
少し時間が経過してしまいましたが、上記ご報告申し上げます。

 これまでも我が国の異常気象ぶりは報じられてまいりましたが、今年はいよいよ本格的な気候変動が表れたといっても過言ではないのではないでしょう。
入梅宣言とともに降雨の気配は一切なくなり、摂氏40度を超える酷暑が続き、梅雨明けとともに各地で1時間あたり百数十ミリという豪雨が観測され、平野部では竜巻様の現象が発生。
多数の犠牲者が出たとの報道を耳にいたしました。
自然現象ばかりは人間の力の到底及ぶものではありません。如何に共存して行くか、ということが古来から人間に与えられた課題です。

 また、平成24年~26年にかけては、約20年周期で訪れる「祈祷の効果が大変強力に表れる時期」でもあります。
祈祷の絶大な効果が表れる瞬間を指して『天鳴り地鳴り』と表現されることがありますが、天変地異と祈祷(呪術)とは古来より密接な関係がありました。
20年前の「台風19号」(1991年9月末)では、ここ広島市でも多大な被害が出ました。
さらにおよそ20年前の 1972年は、八丈島が何度も大地震に見舞われました。1972/2/29 震度5強相当(M7.0)、1972/12/4 震度6弱相当(M7.2)、など。(※参考:同時期に某大事件および全員逮捕。)
さらに20年前にも、大地震が相次いで発生しました。1952/3/4 北海道十勝沖で震度6強相当(M8.2)、1952/3/7 石川県西方沖で震度5強相当(M6.5)など。(※参考:同時期に、重大な条約批准とその反対派の不審な失脚。)
さらに20年前は、非常に大きな台風が通過し、主に汽船や船舶が難破するなどの大被害を受け、広範囲で家屋の崩壊が発生しました。1930/7/下旬。(※参考:同時期に支那国の大事変)
「人事を尽くして天命を待つ」は、自分の出来る範囲のことをすべてやった後は運を天に任せて静かに待とうという意味でもありますが、
人間のできることの範囲というのは(自然界=天の意思に比べて)どれだけ小さいか、ということをしっかり理解して物事に臨むべしという教訓も含まれています。
防災は自然に抗うことではなく共存共生していくことであると再認識し、古来の日本人のように自然と「仲良く」できる文化を取り戻したいものですね。

紗季です。
旧年中は格別なご高配を賜り、誠に有難く、厚く御礼申し上げます。
平成二十五年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 昨年は、当会として、そして私個人としても、大きな案件に頻繁に携わった一年でした。
年末にさしかかり、ようやく成就を成し遂げることができた方、あと一歩で苦戦中の方、
今年一年はすべての方々にとって最高の年になるよう、私ども一同誠心誠意お力添えいたします。
 自民党の政権奪還で幕を閉じた昨年。「自国のことは自国で守る」という当然の意識を常に忘れず、真の「平和主義」とは何かを追求し、また、失われつつある我が国の品位と民度を "取り戻す" ことができますよう、私自身も自分のできることをひとつひとつ実行してまいりたい一年です。

(香苗)
おはようございます。香苗です。
台風17号も、ここ広島周辺ではさほど大きな被害もなく、最接近時に「御幣」(ごへい)があちこちに吹き飛ばされた程度で済みました。
私がこの程度で被害を訴えていては申し訳なく、昨夜、愛知県東部に上陸した台風17号は東日本各地に大きな爪痕を残したと伺っております。
雨・風ともに史上稀に見る規模であったとのことで、被害に遭われた方々には心よりお見舞申し上げます。

 海外では台風に名称を付ける慣例もあるそうですね。米国などではアルファベット順に、男性名・女性名を交互に付けるのだとか。

 最近当会では、外国人の方に対するご祈祷も実施させて頂く機会が多くなってまいりました。
ただ、概念としての「ご祈祷」「呪術」というものを、どこまでご理解いただけているかは、不明です。
おそらく彼ら・彼女らは、自分たちが今から依頼しようとしているモノを "Magic" すなわち直訳するところの「魔術」であると思っているでしょう。
私たちが言うところの「呪術」や「ご祈祷」を明確にご理解頂くには、それ相応の時間と労力を要します。

 どのような解釈の相異があり、その解釈や認識の違い・概念の違いを理解してもらうためには、どのような労力を要するかと言えば、例えるならば「いただきます」の概念に似ています。
日本では当たり前のように、食事の前に「いただきます」と言うのが慣例になっています。
仏教徒の方は合掌をしますし、それ以外の人も合掌まではしないにしても、「いただきます」の概念は共通して持ち合わせています。
キリスト教徒の方の、食事の前のお祈りにも似ていますが、若干その性質は異なります。
食事を与えてくださった神様に対する感謝というよりも、私という命をつなぐために数々の動植物の生命をありがたく頂戴し、その生命を育んでくれた自然に感謝する概念であり、
そうした食事を私に与えるために、あちこちを走り回って獲物を捕らえ、植物を育て、収穫してくれた方々に対する感謝の気持ちが「ご馳走さま」です。
「馳」「走」いずれも「はしる」という意味があります。

 以前、まだ私が学生だった頃に、海外から留学で日本に来られた方に「いただきます」の概念を説明しようとして、「now I'll take your soul or life, thanks.」であると伝えたところ、毎食そんな恐ろしいことを言っているのか、と誤解されてしまったことがあります。
幸い、その後時間をかけて説明していくとある程度はご理解いただけたようで、私のせいで歪んだ解釈をされたまま帰国してしまうことを、なんとか防ぐことができました・・

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