珠玖深原 紗季でタグ「呪い代行」が付けられているもの

紗季です。

非常に大きな台風が最接近し、ここ広島でも今朝から大雨と突風に見舞われました。

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紗季です。

本日 8月6日、広島は72回目の原爆の日を迎えます。
1945年のあの朝、広島は死の町と化しました。
あれから72年、この街は驚くほどの発展を遂げています。
忘れないためにも、私たちが語り継いで行かなければなりません。

紗季です。
梅雨も明けて、各地で猛暑が続いております。

 最近、習い事などの上達・習熟という祈祷のご相談を受ける機会が増えてまいりました。
自己練磨(自分磨き)の一環で、自分への投資をされる方が増えているようですね。
一度踏み込んだ世界ですから、ぜひとも極みに達していただきたい次第です。

 習い事をするということは、その技術や知識を自分のものにするということも重要ですが、
何より「習う心構え」を修練する場であると思います。
謙虚さが無ければ、どんな物事も自分のモノにすることはできません。
自分の師匠に完全に染まり、認められてから、その後に自分のアレンジをして行けばよいわけです。
まだまだ未熟な人間ほど、「でも」や「だって」を真っ先に発するものです。
そういう人間に対して、心を込めて教えたい師匠は居ないはずです。

香苗です。

本日未明、大分県南部を震源とする地震が発生いたしました。
皆様は、被害に遭われてはいませんでしょうか。
ここ広島でも、震度2~4が記録されましたが、大きな被害の報告は受けておりません。

 地震があった時刻には、私自身は祈祷所に入っておりました。
ちょうど前日が祈祷の日程となっておりまして、この日のご祈祷をすべて終えた矢先の揺れでした。
祈祷師一同「これは何かあったに違いない」と考えました。

 そして夜が明け、昼過ぎあたり、ご依頼者の方から一報が入り、
昨日から本日未明までご祈祷させて頂いていた呪殺祈祷の対象者が急性心不全で亡くなり、いろいろと手続きを終えたところだというご報告でした。
ご依頼者の方もどこか落ち着いた様子で、身内が亡くなったことに対する大きな悲しみはありませんが、呪殺祈祷がようやく成就した喜びというわけでもなく、「これからようやく自分の人生が始まる」といったある種の覚悟をも感じさせるしっかりとした声でした。

 祈祷の成就は私どもにとってはあるひとつの「ゴール」ですが、ご依頼者様にとっては、ここから新たな人生が始まる「スタート」でもあります。
ご祈祷(呪術)は最終手段であり、絶望的な状況下からの劇的な状況変化を実現する手段ですが、
その成就を「ゴール」と捉えてしまうと、それから先の計画が立っておらず、あるいはその先の人生を犠牲にしてまで祈祷に臨んでしまって、せっかく成就してもその先の人生で苦しい思いをするかもしれません。
あくまで祈祷は手段であり目的ではなく、成就は新たな人生の「スタート」です。

梅雨入り

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香苗です。

広島は、昨日梅雨入りしました。
今日は快晴ですが、これからシトシトと雨の続く、嫌な季節になりますね。
しかし、これも恵みの雨、農作物には必要な雨です。
梅雨が明ければ、青い空が広がる夏が待っています。
人の運気も同じですね。
常に良いことばかり続くわけではありません。悪い時期が来ても、それを乗り切ればまた良い時期もやってきます。
悪いときには、悪いときなりに、「自分の中のそういう時期なんだ」と受け止めることが大切ですね。

紗季です。
旧年中はご厚情を賜り有り難うございました。
本年もよろしくお願い申し上げます。

紗季です。
本年も残すところ、本日のみとなりました。
思え返せば、土砂災害など、激動の年でした。
来年も、皆様方のお力になれるよう、祈祷師一同尽力いたします。

香苗です。

 朝晩はだいぶ冷え込むようになりましたね。季節は冬へと向かっています。
過日の土砂災害で被害を受けた地域も、皆様のご協力によりだいぶ復旧が進みました。
ただ、被害を受けられた方々の中には、ちょっとした雨が降っても当時のことを思い出して激しい不安に駆られる、
地元地域に愛着はあるが今の家に長く住むことを躊躇してしまう、といった感情があるのも事実です。
真の復興へ向けて、私たちも尽力しなくてはなりません。

 さて、以前、縁切りのご祈祷をさせていただいた方からご連絡を頂戴し、
広島市内で待ち合わせの上、会食を、ということになりました。
紗季祈祷師は都合がつかず不参加とはなりましたが、紗季祈祷師と縁の深い、とある和食のお店にて食事をすることとなりました。
すると、店内には「11月23日から新米をご用意いたします。」との案内が。
11/23 といえば、世間では「勤労感謝の日」ですが、もともとは「新嘗祭」の日です。
天皇みずから新穀を召し上がり、神様に収穫の感謝をお伝えになる祭祀です。
※過去記事参照。[2013年][2012年]
中には9月頃から新米を出されるお店もありますが、ここのように我が国の伝統をしっかり守っておられるお店があるのは嬉しい限りです。

香苗です。

広島市北部を襲った土砂災害から、早くも1ヶ月が経とうとしています。
私どもの社務所のうち1ヶ所が土砂に埋もれてしまいましたが、大事には至りませんでした。
ボランティアの方々のお力もあり、だいぶ復旧へと向かっていますが、やはりまだまだ手付かずの場所もたくさん残されています。

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香苗です。

 紗季祈祷師も無事に戻り、先週末から復帰されました。
携わった禁忌の秘呪も劇的な成果を挙げ、祈祷師も全員無事に社務所に帰還しました。

 全国的に梅雨も明け、と同時に本格的な夏の猛暑が到来しました。
エルニーニョ現象の影響で「冷夏」かと報じられていましたが、フタを開けてみれば例年以上の猛暑に・・
こまめな水分補給を心がけて、まずは身の安全を確保しましょう。

紗季です。
すっかり日差しも夏めいてきました。
これからの梅雨の季節や、その先の真夏日・猛暑日の毎日が来るのかと思うと滅入ってしまいそうですが、季節の変化があるのが我が国の誇りでもあります。
先人の知恵に倣って暑いときには暑いなりに対応しながら季節を楽しみたいですね。

 さて、今回は、普段私どもではあまり扱わない「金運向上」のご祈祷のお話です。
とある女性Yさんから1年半ほど前にご相談頂いた件ですが、「とにかく金運向上したい!お金が欲しい!」と言われて、助言も何も聞いて頂けない状態でした。
私どもが「お金をそんなに手に入れてどうするの?」と伺ったところ、Yさんはとにかく自分の欲しいものを買いたい、好きな旅行に行きたい、世界一周してみたい・・・などなど。

 お金が手に入ることと、金運が上がることとは意味が異なります。
お金に困っている人に対してお金を差し出すことは(ある程度は)簡単ですが、その人の金運を下げることにもつながります。
困っている人と共にどうしたら現状を打破できるかを考えることは、お互いの金運を上げることにつながります。

 金運向上を唱える方々に対しては、まず私どもとしては取り合わないこととしておりますが、
Yさんについては、何か特殊な決意と覚悟のようなものを感じたため、特別にお請けすることとしました。
約1年強の期間、徹底して金運向上のご祈祷を実施させて頂きました。
祈祷の終盤は、半ば「経営塾」のような様相を呈しておりましたが・・

 すると9ヶ月ほど経過したあるときから、少しずつYさんの考え方が変わってきました。
それまでは「お金を自分のために使いたい」という考えでしたが、次第に例えば「自分が旅行が好きなので、旅行会社を作って旅をする皆様の役に立ちたい」というように。
お金を使う方から回す方へ、考え方が変わっていったというわけですね。
そして先月、とうとう小さいながらも旅行会社を設立されたそうです。中にはこういう旅行会社があってもいいかな?と思わせる、なかなか女性ならではの、着眼点が興味深く面白い会社です。

 自分の好きなことには、昼夜を問わず没頭してしまうのが人間です。
その「好きなこと」が仕事になれば、これほど幸せなことはありませんね。
幸せを感じている人の周りには、どんどん人が集まってくるものです。
人が集まれば、より大きな仕事ができるようになります。そしてより大きなお金を回せるようになります。
これこそが、金運向上の祈祷が目指す到達点と言えます。

香苗です。
旧年中はご厚情を賜り有り難うございました。
本年もよろしくお願い申し上げます。

紗季です。ご無沙汰いたしております。

 まずは経理関連のご報告です。
前年度は剰余金(会社で言う「利益」にあたるもの)がマイナス計上となりましたので、今年度の予算から金1万円、および有志の祈祷師からそれぞれ金1万円ずつを公益財団法人日本財団様に東日本大震災復興プロジェクトの活動資金として寄付させて頂きました。
震災の日から2年半が経過し、今でも現地では復興へ向けて大変な尽力をされている方が大勢おられます。
遠くから視線を送るだけでなく、今一度自分たちのできること、自分たちの役割を再認識してまいりたい所存です。
少し時間が経過してしまいましたが、上記ご報告申し上げます。

 これまでも我が国の異常気象ぶりは報じられてまいりましたが、今年はいよいよ本格的な気候変動が表れたといっても過言ではないのではないでしょう。
入梅宣言とともに降雨の気配は一切なくなり、摂氏40度を超える酷暑が続き、梅雨明けとともに各地で1時間あたり百数十ミリという豪雨が観測され、平野部では竜巻様の現象が発生。
多数の犠牲者が出たとの報道を耳にいたしました。
自然現象ばかりは人間の力の到底及ぶものではありません。如何に共存して行くか、ということが古来から人間に与えられた課題です。

 また、平成24年~26年にかけては、約20年周期で訪れる「祈祷の効果が大変強力に表れる時期」でもあります。
祈祷の絶大な効果が表れる瞬間を指して『天鳴り地鳴り』と表現されることがありますが、天変地異と祈祷(呪術)とは古来より密接な関係がありました。
20年前の「台風19号」(1991年9月末)では、ここ広島市でも多大な被害が出ました。
さらにおよそ20年前の 1972年は、八丈島が何度も大地震に見舞われました。1972/2/29 震度5強相当(M7.0)、1972/12/4 震度6弱相当(M7.2)、など。(※参考:同時期に某大事件および全員逮捕。)
さらに20年前にも、大地震が相次いで発生しました。1952/3/4 北海道十勝沖で震度6強相当(M8.2)、1952/3/7 石川県西方沖で震度5強相当(M6.5)など。(※参考:同時期に、重大な条約批准とその反対派の不審な失脚。)
さらに20年前は、非常に大きな台風が通過し、主に汽船や船舶が難破するなどの大被害を受け、広範囲で家屋の崩壊が発生しました。1930/7/下旬。(※参考:同時期に支那国の大事変)
「人事を尽くして天命を待つ」は、自分の出来る範囲のことをすべてやった後は運を天に任せて静かに待とうという意味でもありますが、
人間のできることの範囲というのは(自然界=天の意思に比べて)どれだけ小さいか、ということをしっかり理解して物事に臨むべしという教訓も含まれています。
防災は自然に抗うことではなく共存共生していくことであると再認識し、古来の日本人のように自然と「仲良く」できる文化を取り戻したいものですね。

紗季です。
旧年中は格別なご高配を賜り、誠に有難く、厚く御礼申し上げます。
平成二十五年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 昨年は、当会として、そして私個人としても、大きな案件に頻繁に携わった一年でした。
年末にさしかかり、ようやく成就を成し遂げることができた方、あと一歩で苦戦中の方、
今年一年はすべての方々にとって最高の年になるよう、私ども一同誠心誠意お力添えいたします。
 自民党の政権奪還で幕を閉じた昨年。「自国のことは自国で守る」という当然の意識を常に忘れず、真の「平和主義」とは何かを追求し、また、失われつつある我が国の品位と民度を "取り戻す" ことができますよう、私自身も自分のできることをひとつひとつ実行してまいりたい一年です。

(香苗)

香苗です。
本日は『勤労感謝の日』で、祝日です。
昭和23年に施行された「国民の祝日に関する法律」により制定されました。
本来は『新嘗祭』という祭事がおこなわれる日で、五穀の収穫を祝い、神様に感謝する日です。
こちらは歴史が古く、皇極天皇という女帝の頃から始まったとされていますから、もう1400年近くも続いている行事ということになります。
現在我が国には「祝日」はありますが、「祭日」は無くなりました。
祭日というのは、宮中行事が行なわれる日という意味、あるいは神道の霊祭が行なわれる日という意味です。
新憲法施行後も宮中行事は変わらず行なわれています。
「祭日に戻せ」とは言いませんが、今一度我が国の風習文化を見直し、改めて様々な物事に対して感謝の気持ちを持てる機会を作っていきたいですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%98%97%E7%A5%AD
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%A4%E5%8A%B4%E6%84%9F%E8%AC%9D%E3%81%AE%E6%97%A5

(香苗)
おはようございます。香苗です。
台風17号も、ここ広島周辺ではさほど大きな被害もなく、最接近時に「御幣」(ごへい)があちこちに吹き飛ばされた程度で済みました。
私がこの程度で被害を訴えていては申し訳なく、昨夜、愛知県東部に上陸した台風17号は東日本各地に大きな爪痕を残したと伺っております。
雨・風ともに史上稀に見る規模であったとのことで、被害に遭われた方々には心よりお見舞申し上げます。

 海外では台風に名称を付ける慣例もあるそうですね。米国などではアルファベット順に、男性名・女性名を交互に付けるのだとか。

 最近当会では、外国人の方に対するご祈祷も実施させて頂く機会が多くなってまいりました。
ただ、概念としての「ご祈祷」「呪術」というものを、どこまでご理解いただけているかは、不明です。
おそらく彼ら・彼女らは、自分たちが今から依頼しようとしているモノを "Magic" すなわち直訳するところの「魔術」であると思っているでしょう。
私たちが言うところの「呪術」や「ご祈祷」を明確にご理解頂くには、それ相応の時間と労力を要します。

 どのような解釈の相異があり、その解釈や認識の違い・概念の違いを理解してもらうためには、どのような労力を要するかと言えば、例えるならば「いただきます」の概念に似ています。
日本では当たり前のように、食事の前に「いただきます」と言うのが慣例になっています。
仏教徒の方は合掌をしますし、それ以外の人も合掌まではしないにしても、「いただきます」の概念は共通して持ち合わせています。
キリスト教徒の方の、食事の前のお祈りにも似ていますが、若干その性質は異なります。
食事を与えてくださった神様に対する感謝というよりも、私という命をつなぐために数々の動植物の生命をありがたく頂戴し、その生命を育んでくれた自然に感謝する概念であり、
そうした食事を私に与えるために、あちこちを走り回って獲物を捕らえ、植物を育て、収穫してくれた方々に対する感謝の気持ちが「ご馳走さま」です。
「馳」「走」いずれも「はしる」という意味があります。

 以前、まだ私が学生だった頃に、海外から留学で日本に来られた方に「いただきます」の概念を説明しようとして、「now I'll take your soul or life, thanks.」であると伝えたところ、毎食そんな恐ろしいことを言っているのか、と誤解されてしまったことがあります。
幸い、その後時間をかけて説明していくとある程度はご理解いただけたようで、私のせいで歪んだ解釈をされたまま帰国してしまうことを、なんとか防ぐことができました・・

(香苗)

 はじめまして。
紗季祈祷師に代わって、筆を取らせていただきました。
"筆" というのも妙な表現ですけれども・・

 今夏もたくさんのご依頼人様が、成就のご報告に社務所にお越しになりました。
このところ紗季祈祷師もほとんど社務所に戻れない日々を送っており、代わってお話しをお伺いいたしましたが、
私も何人かの方々から貴重なお話しを聞くことができました。
特徴的に感じたのは40代半ばの男性と女性。ご一緒に来られて、私はてっきり縁結びのご祈祷が実を結んだものと思っておりましたところ、
どうやら、縁切り祈願の成就のご報告だそう。
元々お二人はご夫婦で、ともに職場でも責任の重い立場にあられます。
ご主人ではなく、奥様のご都合での長い単身赴任生活。
いつしかお二人の間にはすれ違いや誤解が生じ、亀裂となり、深い溝になって行きました。
その後、(元)ご主人からの縁切り祈願のご依頼があったのは必然の流れだったのかと・・

 当初は(元)奥様への怒り・憎しみに溢れていた口調も、日が経つにつれ、これまでのいろいろなことへの感謝の言葉に変わってまいりました。
変化の兆しが見られてから成就までは、それほど時間はかかりませんでした。

 そのお二人が、何故かそろって社務所にお越しになりました。
(元)ご主人のお話。
「こういった距離感でつながりを持つこと自体の概念が、今まで自分には無かった。夫婦であるということを自分が勝手に重たく受け止めていただけかもしれない。
今あるものへの感謝を忘れ、常に何か足りないという不満と焦りばかり。これではお互いに幸せになれないのは当たり前だ。夫婦という呪縛から解けた今、心からの幸せを感じている。
幸せな縁切りというのもあるんだなぁ、と実感している。」

 まだまだ修行中の私ですが、この一件は目から鱗が落ちたと申しますか、貴重な御意見を伺うことが出来ました。
お越しいただいたKさん・Iさん、どうぞこれからも、お "幸せ" に!

紗季です。ご無沙汰いたしております。

現在お受けしているご祈祷に関連し、祈祷所をなかなか離れられない日々でございます。
そのため、先日の記事でご紹介した香苗さんに、メール送受信や事務処理、当ブログの投稿管理など、一部の業務をお手伝いしていただくこととなりました。
香苗さんは、基本的に平日は毎日社務所に来ていただくことになっております。
まだまだ正式に祈祷には携わることのできない彼女ですが、精一杯皆様のお力になれるよう尽力されております。
至らぬ点もあろうかと存じますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

紗季です。

ラッキーな出来事に遭遇したときに、「これで『運』を使い果たした」と感じる人も多いかと思います。
「運」や「幸福」というものは、決して、ある一定量が用意されていて、あとはそれを少しずつ消費していくものではなく、
積み重ねていくものと考えるのが適切でしょう。
「運」や「幸福」を積み重ねていくと、さらなる「運」や「幸福」がやってまいります。
その「運」や「幸福」は、独占してしまわずに、周囲の人々にも分けてあげてください。
そうすることで、今度はその人と一緒に、さらなる「運」や「幸福」を積み重ねていくことができるようになります。

「運」や「幸福」を使い果たしてしまったと悲観していると、次の「運」や「幸福」は遠のいてしまいます。
それを指して「やっぱり使い果たしてしまったのだ」と落胆してしまうと、これまで積み重ねてきたものも崩れてしまいます。

奥物部へ

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紗季です。

 私自身のエネルギー充填(?)のため、急きょ奥物部へ出向いてまいりました。
頭も体も心も空っぽにし、新しい「気」を頂いてまいりました。

高知県の東部、物部川沿いにある急峻な山々に囲まれた地域です。
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この地方は、皆様もよくご存知の、いざなぎ流祈祷の発祥の地として知られています。今なお多くの祈祷師(太夫)が活躍されています。
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紗季です。

昨日、平成24年3月11日 で、東日本大震災発生からちょうど1年が経ちました。
国立劇場では政府主催の、そして各地でも慰霊祭が挙行されました。
天皇陛下が冠動脈バイパス手術をこの時期に受けられたのも、一周年となるこの日に国民の前に元気な姿をお見せになりメッセージを発信するためでした。
陛下は昨年3月16日、被災者への励ましの言葉と共に『自衛隊、警察、消防、海上保安庁』の名を挙げられその背を押されました。此れは訓練にあらず、今こそ我が国のために力を貸して欲しいという激励、このお言葉を聞いた隊員・職員は皆大きな勇気をもって現場に突っ込んで行きました。
諸外国の協力もあり、震災直後の事態の収拾スピードは非常に速かったのを記憶しております。
1年経った昨日は、『ボランティア、原発事故に対応すべく働いてきた人々、消防団員』を挙げられ、労をねぎらわれました。
そして私は、陛下のお言葉の本質は『国民皆が被災者に心を寄せ』にあると解釈しました。
1年経った今、特に私のように遠方に住まう者にとって、どこか「遠くの出来事」という感覚で被災地を見てしまっている気がします。
昨年の漢字に【絆】が認定されたにも関わらず、被災地の瓦礫の受け入れを表明した都道府県は、東京都と山形県と青森県だけ。1年で処理できた瓦礫の量は、全体のわずか7%程度に留まるのだそう。
国民全員が被災地・被災者へ心を寄せ、より一層「自分のこと」と考えることが、震災からの復興、ひいては我が国の国益につながります。
一人ひとりができることは限られていますが、力の無い私たちでも結束すれば大きな力になります。
裏付けの無い浮いた情報に心惑わされず、正しい情報を得て、正しい判断をし、自身の力を最大限に活かしたいと思います。

 「国益」の話題が出たところで、つい先日のことをお話ししたいと思います。
私どもも、このところ、随分難しい案件をお受けする機会が増えてまいりました。
兼ねてより、我が国の自衛隊基地や米軍基地の周辺の土地を、外資が買い漁っている事実については皆様もご存知かと思います。
先の大震災発生後、その動きが顕著になってまいりました。
諸外国では、他国籍の個人・企業に自国の土地を譲渡することだけでも大きな制限がかけられているのが通例ですが、我が国ではそこまでの障壁は無いそうです。
まして、軍用地の周辺などは、自国民にすら売却することはない、特殊な土地なのです。しかし我が国ではそうした制限をしておらず、軍用地周辺の土地の所有者の一存で、誰に売却しても良いことになっているそうです。固定資産税を払い切れなくなって手放そうとする個人所有者に対して、特に支那と呼ばれる隣国が格安での購入を持ちかけてくると聞きます。
ちなみにその所有者の方は「絶対に外国には売らない!」と、我が国の国益を必死に守っておられました。
そんな状況の中、ある外資の関係者から、そうした軍用地の周辺土地の所有者をナントカして欲しいとの相談があり、金には糸目をつけないといった趣旨のことを話されていました。
本来、依頼者様(祈願者様)の諸事情にはあまり深く関与せず、ご祈祷に必要な事項をお伺いして祈祷料を頂戴することで、依頼者様が話したくない不都合なことにまでは触れないようにご祈祷を進めるのが常です。
ただし、成就させることによってひいては我が国の国益を大きく損なうことに対して、私どもは力を貸す気は毛頭ございません。私は祈祷師である以前に日本人です。
自国のことを自国民が命懸けで守っていく態度こそ、諸外国に対する力強いメッセージの発信となり、諸外国と同じステージに立って話ができるというものです。
戦後60年で私たちは「自力で守る」ことを忘れかけているような気がします。
今一度「国益」とは何かということについて、真剣に考えていかなくてはならない時期です。

紗季です。

 「企業復活へ!」の記事で触れましたが、「正道」と「覇道」とを上手く使いこなすことができてこその「王道」です。祈祷(呪術)の力のみを過信していては、祈祷師は務まりません。

 昨年「縁切り祈願」のご祈祷をさせて頂いた方から、対象者の逮捕の連絡を受けました。これまで長きに渡り苦しめられてきた依頼者様の状況をすべて知っておりましたので、この知らせを聞いて私自身も大変安心した次第です。
しかしながら、言葉巧みに表面上の反省の念を述べて釈放されたり、罪を軽減すべき情状として採用されてしまっては安心してもいられませんので、縁切り祈願の締めくくりとして「厳罰嘆願書」を作成し、警察署署長と地検の検事正宛に送付しました。
これが功を奏したようで、対象者の正式起訴が決まり、保釈の可能性もほぼゼロとのことで、改めて依頼者様と二人(当会代表者も加えて三人)で一件落着を確認しました。
あとは対象者が心から反省し、悔い改め、正しく社会復帰されることを祈るばかりです。

紗季です。

 先日、大学生の方のご相談をお受けする機会があり(男性)、
その余談で就職活動に関する話題に触れました。
厳しい状況であることは既に皆様もご存知かと思います。
相談者の方もかなり苦労されている様子。
何枚もあらかじめ準備されている履歴書と、各社のエントリーシート。
これらに対して「金太郎飴ですか?」と揶揄しましたが、判でついたように中身は同じ。
相談者の方は、下手な鉄砲でも数撃てば当たると思います、とおっしゃっていましたが、どうやら諺の解釈を誤っておられるようですね。

 「下手な鉄砲」というのは、力を抜いて片手間に物事をおこなうという意味ではなく、
下手なりにも時間をかけて最大限の力を注いだ結果として出来上がったモノ、という意味であって、
それが決して『完璧なモノ』とは言えないかもしれないけれども、独特の個性と魅力を持った『その人らしいモノ』だからこそ、
『下手な鉄砲』でも、根気よく続けていればいずれ認められる日も来るという意味です。

 鉄砲を構えても、的の方を向いて撃たなければ、数を撃ったとしても、まぐれでも当たりません。
鉄砲を構えて、少なくとも的の方に向けて狙いを定めることが大前提であって、そこまでできれば、あとは「下手」であっても数を撃てばそのうち当たることもあります。

 一方、別の日に、今度は採用側の立場の方からも意見を聞く機会がございました。
優秀な人材を採用できればベストだけれども、それは不可能に近い。それよりも、『馬鹿』を採用してしまわないことに注力している、とのことでした。
『馬鹿』というのは学力の意味ではなく、人と(まともに)会話ができなかったり、「個性」をはき違えていたりする人物を指すそうです。
その採用担当者の方が、ある日社内のいろいろな部署に「どんな人材がほしいか」と尋ねて回られたそうです。
すると、経理部門からは「コミュニケーションができて、向上心があって、素直な人」との回答、営業部門からは「明るく誠実、人と話ができて、向上心がある人」、技術部門からは「熱心で、探究心にあふれていて、なおかつ機械ばかりでなく人とのつながりも持てる人」。
 結局はどの部門でも、同じような人材を求めているのですね。

紗季です。
旧年中は格別なご高配を賜り、誠に有難く、厚く御礼申し上げます。
平成二十四年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

激動の平成二十三年でしたが、本年、皆様方におかれましてはどのような幕開けでしたでしょうか。
元旦からおよそ三日間は、地元の神社は初詣の参拝客で賑わっておりました。
ちなみに、この期間ばかりは巫女も緊急募集(いわゆるバイト)が掛けられるようですね。
おみくじを引かれた方も多いのではないでしょうか。できれば「吉」や「凶」だけを見てすぐに枝に結んでしまわずに、ちゃんと持って帰って本文をじっくり読み、今年一年を幸せに生きる上での参考にしたいものですね。
今年から来年にかけては祈祷の効果も大きく出やすい時期とされます。
私自身も気を引き締めて、一人として途中で諦めてしまわれる祈願者様の無きよう、そして一人でも多くの方が心願成就されますよう、心よりお祈り申し上げ、新年のご挨拶とさせていただきます。

紗季です。

世界的に報じられましたので、私どもからもまずはご報告をいたします。
先日、「天鳴り、地鳴り」の記事でお伝えしておりましたが、私とは別の祈祷師の組が「禁忌の秘呪」を実施しており、先日 11/21 頃に天鳴地鳴の成就の兆候が表れ、まもなく結末が訪れたということです。
※公式には 2011/12/17 の死去と報じられました。
数年掛かりの、いわば「一大プロジェクト」であり、私どももひとつ肩の荷が下りた感を受けております。

 これまでにも「激動の年」と言われた年はありましたが、平成23年(2011年)ほど激動した年はこれまでにも稀なのではないでしょうか。
先日の国家代表の死去、アフリカ大陸でも革命指導者の民衆争乱による最終的な殺害による結末、「9・11」を実行したテロ組織の指導者の殺害、チュニジアの反政府デモの拡大による政権崩壊(ジャスミン革命)、
タイでは類を見ない大洪水、ヨーロッパではギリシャを発端としたユーロ危機、ノルウェーの政府庁舎爆破・ウトヤ島乱射事件など連続テロ、アメリカでは「ウォール街を占拠せよ」の合言葉を唱えた大々的なデモも発生、
そして我が国では、平成23年3月11日の東北大震災。
いずれも、おそらく100年後や1000年後の歴史に足跡を残していることでしょう。

 建築・建造物は地図上に残りますが、建設した人々が表に出ることはほとんどありません。
同様に、歴史に足跡を残しても、その裏で動く人々が歴史に足跡を残すことはありません。
少しでもこの世の中が良くなり、一人でも多くの人が「心の豊かさ」「本当の幸せ」について真剣に考える機会が増え、そして実現できる世の中を作り上げたいものですね。

紗季です。

昨日(11/11/21)は、夕刻に広島県北部を震源とする地震が発生し、交通などに影響が出たようですが、幸い大きな被害も無く、私どもも確認できている中では皆無事でした。
皆様からたくさんのメールを頂きました。
私どもとは別の祈祷師の組が、ちょうど震源あたりの祈祷所で『禁忌の秘呪』をおこなっていることもあり、
古来より伝えられている、"天鳴り、地鳴り、これらが合わさった時に秘呪が完成する" といったことを思い出し、
ひょっとすると成就の表れであったのかと考えておりますが、詳しい知らせが入っていないため詳細は分かりません。

紗季です。
暦の上では秋とは言え、まだまだ本格的な暑さには悩まされますね。

 さて、この度、結婚が決まりました。


とはいえ、私ではなく、私どもの組織に所属する、女性の若い見習い祈祷師、香苗さんです。
先を越されてしまいました(笑)
見習い祈祷師の身分ですので、皆様へのご祈祷をお受けするにはまだ少し時間がかかるかと思いますが、どうか彼女らの幸せを応援して差し上げてください。

「祈祷師」あるいは「見習い祈祷師」というと、どのような印象をお持ちでしょうか?
生まれてすぐに神童と崇められ、学校も行かずに修行を積むことで、何か不思議な力を手に入れられる。
そんな印象をお持ちでしたら、それは空想の世界の出来事です。
少なくとも私どもでは、見識・良識のある成人もしくは成人に近い年齢になってからの修行開始となりますし、そのためには希望者には大学に進学させたりもしています。

大勢の方々から相談をお受けするにあたって、あまりに常識を知らないと、何も助言をすることができないだけでなく、先方様に不快感ばかりを与えてしまいます。
法律の基礎も知らないで「法的手段を検討してみてください」と言ったところで、何の説得力もありません。
科学を知らない人から「科学的だ」「非科学的だ」といった話をされても、何ら信憑性がありません。
恋愛も知らないで、恋愛相談や縁切り相談を受けられるはずもありません。
会社運営を知らない人が、企業死の祈祷を提案することは不可能です。

世間を知り、常識を学び、自然科学を学び、人文科学を学び、恋愛を経験し、一定の社会経験を積んで、
その上で自分の力を人のために使うことに生き甲斐を感じるようになる、
その段階で、はじめて祈祷師としての修行に着手することになります。

ある者は社会経験を積むために就業し、ある者は大学へ進学して一つの学問を追求し、
またある者は神道学を学んで「神職」の資格を取り、ある者は家庭の中で家族の幸せを追求しながら、
それぞれ置かれた立場の中での自分の役割を知り、そして自分の力を世のためにどうやって役立てられるかを追求します。
どこかの時点で私どもの修行が終わることはなく、私どもは常に修行中の身であり、ある程度の段階で「祈祷師」の称号を与えられます。(祈祷師拝命)

どうか皆様、「祈祷師」を敷居の高い存在と思わないでください。
世の中にはまだまだ私どもが知らないことの方が多いわけですから、私自身も皆様から勉強させて頂きたい心構えです。
どうぞこれからもよろしくお願い申し上げます。

紗季です。

 以前記事にも取り上げましたように、私どもの組織では、不定期ではありますが、いろいろな宗教の方々と交流する機会を設けております。
先日は、とある新興宗教の幹部に近い(?)方とお会いする機会がありまして、その「教義」を聞いて欲しいと言われて、(やや話半分に)耳を傾けました。
教義書(?)の序章にあたる部分を解説して頂きましたが、ところどころに他の宗教・信仰を頭ごなしに否定する箇所があったりして、第一印象としては「後味が悪い」の一言に尽きる感を受けました。
当然ながらその印象を率直に伝え、「貴方の教義」が真に述べたいこと・伝えたいことは何であるのかを徹底的に議論いたしました。
いかなる宗教・信仰も、決して「排他的」になってしまってはならないと思います。排除してしまった相手方は、必ず今度は私たちの方を排除してきます。
そうすると両者は、それ以降一切相容れない関係に陥ってしまいます。
 「どう考えても間違っている」と思ってしまっても、相手を全否定する前に自分自身で「具体的にどの部分が間違いだと感じたか?」「理屈としてオカシイのか?心情的に許せないのか?」「悪を正そうとしている自分は、ちゃんと筋を通しているのか?」といった自問自答をしてみても遅くはありません。
議論した結果、やっぱり自分自身の考え方とは合わないと感じたら自分が取り入れなければ良いだけであって、逆に良い考え方だと思えば自分自身も取り入れて行けば良いだけです。

 会社で商品の売込みをされる「営業担当」の方からも、やはり同じような意見が聞かれます。
同種の商品を扱うライバル企業を頭ごなしに否定してばかりでは、かえって自社の印象が悪くなってしまいます。
相手の商品はこういったメリットがあり、こういったデメリットがある。当社製品にも同様にある。御社のビジネススタイルに照らした場合には、相手企業の商品ではなく、当社製品のメリットを活かす方が効果的で収益も上がるだろう。
そうした誠実で親身な対応こそが相手の心をつかむものになります。
そして、今まで取引をしてきた相手企業から当社に乗り換えてもらう際にも、相手企業を無下にするのではなく、筋を通して取引を終えてもらうように尽力しなければなりません。

感謝。

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紗季です。

先日の記事をご覧頂いた方々から、お気遣いのメールをたくさん頂戴いたしました。
祈祷にあたらせて頂いた祈願者様ご本人のみならず、過去にご祈祷させて頂いた方や、初めてご相談頂く方からも心温まるメールを頂戴いたしました。
まずはご心配お掛け致しましたことをお詫び申し上げます。
と共に、祈祷師として本来は祈願者様に誠心誠意お力添えし、時に叱咤し、祈願者様の心願成就へ向けて共に尽力して行くべき立場であるにもかかわらず、逆に祈願者様からお気遣い頂き温かい言葉を頂戴し、たくさんの「パワー」を頂くことができ、おかげさまですっかり回復し実務に復帰することができました。
このことは私自身の何よりの励みとなりました。
今後も祈祷師として誇りを持って、祈願者様と一体となり、心願成就へ向けて共に尽力してまいりたいと思います。
どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。

紗季です。
ここ数日間、祈祷所で寝込んでおりました。
祈祷中に油断してしまったためか、呪い返しにやられてしまいました。
1~2日は意識がなく、気付けば古参(ベテラン)の祈祷師から「排呪」を施して頂いているところでした。
幸い後遺症もなく、間もなく祈祷に復帰できる見通しです。
祈祷所と社務所を行き来する日々が続いておりましたので、無理が祟ったのかもしれません。
 皆様方におかれましても、これから暑さも厳しくなりますので、無理のないように暑さ対策をしながらお過ごしくださいませ。
そして、くれぐれもご自身で見よう見まねでの呪術行為をおこなうことは避けてください。

奈良へ

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紗季です。

先月のお話になりますが、
私どもでご祈祷させて頂いた方からご連絡があり、復縁成就に至ったとご報告を頂戴いたしました。

心願成就のご報告をされたいとのことで、私どもの地へお越しいただきたかったのですが、
依頼者様の身体的な問題もあり、遠方へはなかなか困難であるとのこと。
それではと、私どもの方からお訪ねした次第です。
奈良では、「遷都1300年祭」の名残で平城京跡がそのまま残っていました。
その目の前のバス停の名前、どうも運命を感じてしまいます・・
奈良公園では鹿と戯れ、せっかくだからと「東大寺」も訪問いたしました。
何度見ても圧巻ですね!

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 お二方には駅まで迎えに来て頂いたのですが、私どもが勘違いして JR線 と 近鉄線を間違ってしまいました。結局タクシーでの移動となり、お二方にはご迷惑をお掛けしてしまいました。
奈良を訪れるといつも「歴史の中に我あり」と感じます。
町並みも落ち着いており、時間が許せば昔のようにまた、のんびりとすみずみまで旅して周りたいものです。
お二方のご多幸をお祈り申し上げます!

紗季です。

今年の3月19日は、月が地球に最も近付く日です。
とは言え、もともと平均38万km以上も離れているものが
35万km余 まで接近するといった、大きな規模の話です。
注意して見ても、「大きさが違うか」と言われれば
「違う気もする・・」といったくらいの感じでしょうけれど、
普段よりきれいに見えるのは間違いないでしょうね。

当日の天候次第ですね。

紗季です。

私どもの組織の別の祈祷師の組が、只今「企業復活」へ向けて御祈祷を実施させて頂いております。
ちょうど1年ほど前に「企業死」について取り上げたことがございましたが、まさにその真逆の御祈祷です。
 ※【企業死ということ】

紗季です。

昨夜、2010/12/21(火)は皆既月食でしたが、皆様はご覧になりましたでしょうか。
残念ながら全国的に悪天候で、ほとんどの方は見ることができなかったのではないでしょうか。
私自身も見ておりません。

皆既日食は、太陽がくっきり欠けて大変印象深い現象であるのに対し、皆既月食では一応はぼんやりと満月も見えており、なかなか「ここからここまでが月食」といった明確な線引きができないため、印象に残りづらいとも言えます。
太陽の光が強力であるため、その中でも波長の長い赤色光が地球の周辺で回折し、地球の陰に居る月に届きます。波長の短い青色系統の光は届かず、そのため皆既月食では赤銅色の満月を見ることになります。
次の皆既月食は、2011年6月16日だそうです。
良い天気になることを祈りましょう。

紗季です。
復縁祈願のご依頼が、近年急増しております。
頂戴する文面からだいたいの状況が分かりますので、それに応じてまずはアドバイスさせて頂いております。
中には「頂いたメールを読んで、何度か涙が出ました。確かにおっしゃるとおりでした。」と言って頂ける方もおられ、そういった方々にはまずは「今の気持ちを忘れずに、もう一度ぶつかってみなさい。」と追加させて頂きます。
復縁成就(復縁成功)の秘訣は、やはり自分が変わり、相手が変わり、環境が変わることと考えております。
自分の力の及ばない「相手の心を変える」「環境を変える」という点について、祈祷師が全力で御祈祷させて頂き、お力添えいたします。
祈祷(儀式)だけにすっかり依存してしまうのもまた、危険なことと言えます。せっかく復縁のチャンスが来ても、結局また時間が経てば元の状態に戻ってしまい兼ねません。
自分が変わる・自分を磨く、といった点についても、どうか重視して頂きたく思います。
逆の立場で考えても、いつも悲観的でくよくよしている人と、また一緒になりたいと思うでしょうか? それよりも、常に前向きで「また一緒になれたら、こんな将来を送りたい」といつも明るく振舞っている人は、人間としての魅力にあふれ、誰からも愛される人間になるでしょう。

復縁祈願について
ご相談はこちらからどうぞ

紗季です。
梅雨の季節ですね。このところ毎日のように大雨が降ります。

そんな大雨の中、先々月末まで祈祷をさせて頂いた女性が、遠方からはるばる社務所を訪ねてくださいました。
具体的な祈願事の内容については公表して欲しくないというご本人様の意向により、ここに書くことは控えますが、一時は「自分は死ぬつもりだ」とまでおっしゃっていたにも関わらず、すっかり明るく前向きになっておられたことにまず驚かされました。
相談に来られた当初を振り返って、「憎悪の心しかなかった当時が嘘のようだ、これからは自分が生きている、というよりむしろ生かされていることを自覚していきたい」と、素敵な笑顔をこぼされました。
テレビもない社務所で、おもてなしも出来ませんでしたが、私どもにも幸せを分けて頂けたような気分でした。

紗季です。
祈祷をご依頼される方から、よくこのような質問を頂戴いたします。

「祈祷を依頼する場合、どの程度の呪い返しが来るでしょうか?」

私自身は「呪い返し」について一般の方に説明する際に、
呪術の目的・規模の大小に関わらず、呪術という事案に関わる以上は祈願者様(依頼者様)にもわずかながら呪い返しの影響が生じます、
といったことをお伝えしております。
ただしこれだけでは単に祈願者様をビクビクさせるだけに終わってしまいますから、
「よって、特に儀式の期間中は日頃以上に注意して、お過ごしくださいませ」
と付け加えております。
 この説明の本質は以下の通りです。

本来の「呪い返し」というものは、呪術行為の跳ね返り、あるいは反作用として、行為者自身に生じるものでございます。
従いまして、呪術行為を行う祈祷師(呪術師)が、その影響を受けることになります。
これを「本来の呪い返し」あるいは「狭義の呪い返し」と呼んでおります。
依頼者様は呪術行為をするわけではありませんので、「本来の呪い返し」の影響を受けることはありません。
しかし、呪術という非日常的な事案に関わるわけですから、儀式の期間が近付けば、いくら心穏やかに過ごしたくとも
どこか神経が高ぶったり、落ち着きがなくなってしまいます。これによって夜間の睡眠不足を生じ、日中は注意力が散漫に
なってしまうことも予想され、場合によっては事故などを誘発する危険性もあります。
このことは、本来の呪い返しの影響とは異なりますが、呪術という事案に関わることにより受ける影響という意味では、
「広義の呪い返し」とも呼ぶことができるでしょう。
従いまして私どもでは、祈願者様に上記の内容を説明し、できるだけ夜間は充分に睡眠を取って頂くようにお願いし、
日中は普段以上に周囲に注意してお過ごしいただくことをお願いしております。

紗季です。
空も低くなって参りました。入梅間近といったところでしょうか。
今朝方、神社敷地内の神木に一体の藁人形が、【呪】の文字と共に五寸釘で打ち付けられているのを見付けました。
どなたかが見様見真似で呪術行為をおこなったのでしょうと思い、神木から除いて奉納いたしました。
ここ最近ではめっきり減っていたのですが、久しぶりに目の当たりにしました。
 手法自体はまったく稚拙で、この程度であれば「呪い返し」も心配ないとは思いますが、それでも今後継続的に実施されるのであれば、注意が必要なのかな?とも思わせられております。
なお、他の神社・寺院でも共通して言えることですが、敷地に無断で侵入したり物件を傷付けると、やはり程度の重軽を問わず刑法に触れる犯罪になってしまいます。
どのような観点からも、「軽はずみな行為は厳禁」と言えるでしょう。

紗季です。

日中の日差しが、徐々に夏のそれになってまいりました。
衣替えをすべきかどうか判断のつき難い毎日です。

さて、私どもが「究極且つ最終的な呪術」と表現している「呪殺祈祷」ですが、
先日も祈願者様からの成就報告を受け、祈祷終了した一件がございました。
皆様は、呪殺祈祷を依頼される人について「呪殺をも持ち出すほど憎悪に満ち溢れた祈願者ばかり」、とお考えではないでしょうか?
もちろん、相談に来られた当初は「なんとかしてアイツを殺したい!」といった憎悪心のカタマリのような状態の方ばかりです。
しかし、そうした際に私どもは、そもそも呪術というものは憎い相手に悪さをしてやろうという目的で成り立ったわけではなく、
本質は「歪んだ現状を正す」ことにあるのだと説明いたします。
そして、性急に結論を出そうとされる依頼者様にも時間をかけてやり取りを重ね、冷静さを取り戻されたところで改めて「本当に呪殺祈祷が必要かどうか」をお尋ねします。
それでもなお祈祷が必要という判断がなされた場合にのみ、私どもは正式に「呪殺祈祷」をお受け致します。
憎悪心だけに基づいて依頼に来られた方は、冷静な心を取り戻されてからは「まだ呪殺までを検討すべき時期ではない」といった正常な判断をされます。
そのため、「呪殺祈祷」を実施するにあたって、その祈願者様は、憎悪ではなく冷静な心、使命感すら感じさせるオーラに満ち溢れた状態で儀式に臨まれています。
憎悪心が強いうちにもし成就してしまったならば、「取り返しのつかないことをした・・」という後悔が生じてしまいます。

呪術に臨むにあたり、正常な心を持たせることも、祈祷師の役割であると考えます。

紗季です。

先日、かの有名な「貴船神社」を訪ねました。
本来「貴布禰神社」(貴布禰総本宮)と表記するのが正しいようです。

「呪い神社」として名高い神社ですが、本来は丑の刻に参拝して心願成就することが目的であり、呪いや呪術、ワラ人形といった「呪い神社」と呼ばれるに至ったまがまがしいイメージは、メディアなどの影響で後から付けられたもののようです。
今でもなお、敷地内の神木に無断でワラ人形が打ち込まれるなど、被害が絶えないそうです。

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貴船神社
貴船神社とは

紗季です。

企業(法人)も同様に、呪術の対象となることがあります。
特に企業の破綻・倒産などを目的とした場合、私どもではこれを「企業死」と表現しております。

企業死のケースは、とにかく迅速さが求められます。
生半可に呪術を実施すれば、一番被害を受けるのは末端の従業者のみで、狡猾な経営者自身の財産は守られ意外と早い段階で再生してしまうのが現状です。注意が必要です。

成就の難易度が企業の規模に比例するかと言えば、実はそうではなく、やはり経営者と従業者が一丸となって結束していたり、強い目標・夢を持つ企業に対しては成就が難しく、逆に従業者が常日頃から転職情報をチェックしていたり覇気の感じられない企業ほど、規模に関わらずあっさりと「企業死」してしまうように感じられます。

紗季です。
年末に、会所属の祈祷師の近親者が亡くなり、先日その葬儀が行われました。
当人が神道を離れて仏教徒になっておられましたので、仏教式での葬儀となりました。
その前日には通夜が行われました。

祈祷師という立場柄、自分自身のみならず近親者や関係者にも相応の影響があるのは宿命(さだめ)であり、私や他の祈祷師たちもそのこと自体にはもう慣れてしまったものです。

地元の真言宗系のお寺の住職様が導師をおつとめになりましたが、私としては初となる「真言宗」の葬儀の経験でした。

「オン・アビラウンケン」という、大日如来の真言を唱えられた後にお経(というのでしょうか?)が読まれ、
おしまいに光明真言を数回、最後に
「願わくは、この功徳を持って遍く一切に及ぼし、我らと衆生と皆、共に仏道を成ぜん」
の言葉で締めくくられました。
印の結び方までは勉強していなかったのですが、真言の意味するところなどを調べるなどして亡くなった方を偲ぶことが死者を弔うことにもなるという考えから、私自身も少し「真言宗」というものに触れて行きたいと感じました。

紗季です。

昨年10月頃にご依頼を受け、その後年末までの間に成就された方に近況確認のご連絡をさせて頂きました。
復讐を目的とした御祈願でしたので、あまり私どもの方から積極的に連絡をして辛かった時期を思い出させてはいけないとも考えておりましたが、しばらく連絡が途絶えておりましたので思い切ってご連絡させて頂きました。
すると、間もなくお返事を頂戴し、いたって順調な近況をお伺いすることができました。
当初は「殺してやりたい」ともおっしゃっていたほど強烈な復讐心でしたが、「相手が脳梗塞に倒れ、会社も閉めて、今は細々と自宅治療をしている」とのご報告と、さらには「暗い復讐心からは何も生まれない、呪殺を踏みとどまってこの程度の復讐で済ませておいて良かった。」との開眼とも感じ取れる感想を頂けました。
その相手(対象者)も、この病気を機にこれまでの言動を省みて、今後は人のために尽くす生き方をしたいと語られているようで、双方にとって大きなメリットをもたらすことができたと、私自身も祈祷師冥利に尽きる一件でございました。

ご依頼者様自身の経営も順調なようで、今後も微力ながら益々の発展と商売繁盛を祈るばかりでございます。

紗季です。

「神々は 己の内にあるものを 
  外を祈るは 愚かなりけり」
  
神様はどこに居るかと尋ねられたら、私は迷わずその方の胸を指差すでしょう。
神様は、決して神社や記念碑の中に住み着いているのではありません。常に私たちの中から、私たちのことをそっと見守っています。
一番身近なところに居るにも関わらず、どこかに他に居る神様を探して彷徨うのは愚かであるということですね。

ある物事について深く悩んでおられる方も、実は心の中ではすでにある一定の結論は出ているという方がほとんどではないでしょうか。
悩んでいるときも、神様は私たちの中から様々な影響を与えてくれています。だからこそ、そうして悩んだ末に達した結論には、時間をかけて考えたものほど価値があると言えますね。
相談・助言とは、すでに出されている心の中の結論に対して、あと一歩の後押しをすることなのかもしれませんね。

紗季です。
地元の神社を撮影したときのものです。
神様が写りました・・・・か?
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紗季です。
私どもの組織では、不定期ではありますが、他の宗教の方々とも交流をしております。
先日も、仏教のとある宗派の法主様や、キリスト教の聖職者様、イスラム教の支部長様などと懇親会を行いました。
日本にもイスラム教徒が居るのか? と感じる方がおられるかもしれませんが、結構たくさんおられるとのことです。

私ども日本人は、個々が信条とする宗教は異なるものの、やはりどこか深いところに「多神教観」を有しています。
多神教とはすなわち、私ども神道の基本的な考え方ですが、近年この「多神教観」というものが他の宗教の方々にも見直されていると聞きます。先日も同様の意見が多方面から出ました。
「一神教」同士の立場であれば、当然に異文化の理解を図る上で排他的になり障壁になりやすくなってしまいます。

元日には神社にお参りし、挙式はキリスト教式、葬儀はお寺さんを呼んで、大晦日には除夜の鐘を突く、といった点を指摘して「無節操」と表現する考え方や文化もありますが、
逆に私たち日本人はその「多神教観」に基づく一連の慣習を、むしろ誇りに思うべきであると、改めて考えさせられた一日でした。

紗季です。
このところお天気の良い日が続いており、儀式を行う上でも大変助かります。
もうじき季節も秋になり、涼しくなりますとさらに過ごしやすくなりますね。

余談ですが、私ども祈祷師・神職の正装は綿素材や麻素材が中心です。
しかしながら事務職の衣装は化学繊維素材も含まれており、これは風通しがあまり良くないため夏場は苦労するようです。

紗季です。
今日は税務のお話です。

よく、宗教団体には税金がかからない印象を持たれ、
「坊主丸儲け」などという言葉を耳にすることがございます。
(神社ならば「宮司丸儲け」でしょうか?)
しかしながら税金がかからないのは玉串料やお布施・お賽銭・喜捨だけで、
営利活動をおこなえば当然に所得税がかかります。

具体的には、私たちが氏子や信徒様から頂戴する分は宗教活動として
非課税となりますが、一般の方に対して祈祷を行って祈祷料を頂戴した分に
ついては営利活動であり、課税対象となります。
私どもも年末に決算を行い、翌年税務署の仕事始めとともに納税手続きを
致しております。

一人でも多くの方が心願成就されますよう、これからも尽力して参ります。

紗季です。

儀式は屋外で行われます。そのため悪天候の日などは大変苦労いたします。
この時期は、神火を絶やさぬように、繁った神木の天然の屋根を利用したり、
神木の枝同士に大きな布を結んで雨を多少はしのいだり、
「人形(ひとがた)」や、祝詞の書かれた和紙については防水加工したものを用いたりしております。

確立された時期は大変古い「呪術」ですが、実は近代的な「文明の利器」も利用しているのが現実です。

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ご来訪

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先月私どもで復縁祈願の祈祷をさせて頂いた女性の方が、
復縁成就されて恋人となられた男性と共に、本日私どもを訪ねておいでになりました。
何もない不便な社務所ですので、ゆっくりおくつろぎになれなかったことと思います。
儀式期間中の辛かった時期のことや、今後のお二方の将来像についてお伺いすることが出来ました。
たくさんの「福」を分けて頂きました。

紗季です。

本日は嬉しい報告を頂戴しました。
20代女性の方から復縁祈願のご依頼を賜っておりましたが、
復縁成就されたとのご連絡を頂きました。
※ご本人の許可を得て執筆しております。

昨年夏頃にご相談を受け、その後間もなく儀式に着手いたしました。
当初の見込みより大幅に遅れ、約7ヶ月経過してからの成就と相成りました。
儀式期間中は、出口の見えない迷宮を彷徨うがごとく憔悴され、
一時は「もう儀式は取りやめて下さい」とまで嘆願されました。
ただ、ここで止めてしまっては全てが台無しになると説得し、
専願祈祷(特殊祈祷)を継続させていただき、結果として昨日夜になってから
突然相手男性より連絡が来て復縁に至ったとのことです。

呪術の「効力」は儀式と共に蓄積されるものですが、
呪術の「効果」(結果)は、ある日突然として現れるものでございます。

儀式を適切に行うばかりでなく、呪術というものの特性を分かりやすく説明する
ことも祈祷師には求められます。
その「呪術の効力」を無駄にしないためにも、精神的に疲弊している祈願者に対し、
儀式の終了までの間、そして実際に結果として現れるまでの間、どれだけ
心のケアが出来るかということも、これからの祈祷師には要求されることでしょう。

紗季です。

頂戴するご相談メールの中で、最近目に付く言い回しがありまして、
『藁(わら)にもすがる思いでご相談させて頂きました。』
というものです。

大変深刻な状況とお見受けし、心境もお察しするに余りあるのですが、
もしひとつだけ忠告させて頂くならば、相談相手を指して『藁』と表現するのは、
今後避けられた方が良いでしょう・・・。
※『藁』は、頼りなく力無い様子のたとえです。

実際、私自身もまだまだ修行中の身、
胸を張って『大船に乗ったつもりでお任せ下さい』と言えるようになりたいものです。

紗季です。

依頼者様に対して呪術・祈祷というものを説明するときに、
どうしても難解な用語を用いてしまいがちです。

紗季です。

百年に一度の大不況という世の情勢を反映してか、「金運向上祈願」「億万長者願望」といったご相談を数多く頂戴するようになりました。
ご相談者様には申し上げておりますが、残念ながらそういった祈願事は呪術の範疇ではありません。呪術とは人間の心に影響を与えるものでございます。

単に金銭を手にしたいという曖昧な願望ではなく、例えば「商売繁盛のため、良い人脈に恵まれたい」といったように、対人間に置き換えることで呪術で取り扱える祈願事になります。
ただし、こうした私どもの提案を受け入れて下さった相談者様は今のところ居られません。残念なことです・・

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