珠玖深原 紗季でタグ「呪術」が付けられているもの

紗季です。
梅雨も明けて、各地で猛暑が続いております。

 最近、習い事などの上達・習熟という祈祷のご相談を受ける機会が増えてまいりました。
自己練磨(自分磨き)の一環で、自分への投資をされる方が増えているようですね。
一度踏み込んだ世界ですから、ぜひとも極みに達していただきたい次第です。

 習い事をするということは、その技術や知識を自分のものにするということも重要ですが、
何より「習う心構え」を修練する場であると思います。
謙虚さが無ければ、どんな物事も自分のモノにすることはできません。
自分の師匠に完全に染まり、認められてから、その後に自分のアレンジをして行けばよいわけです。
まだまだ未熟な人間ほど、「でも」や「だって」を真っ先に発するものです。
そういう人間に対して、心を込めて教えたい師匠は居ないはずです。

梅雨入り

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香苗です。

広島は、昨日梅雨入りしました。
今日は快晴ですが、これからシトシトと雨の続く、嫌な季節になりますね。
しかし、これも恵みの雨、農作物には必要な雨です。
梅雨が明ければ、青い空が広がる夏が待っています。
人の運気も同じですね。
常に良いことばかり続くわけではありません。悪い時期が来ても、それを乗り切ればまた良い時期もやってきます。
悪いときには、悪いときなりに、「自分の中のそういう時期なんだ」と受け止めることが大切ですね。

紗季です。ご無沙汰いたしております。

 まずは経理関連のご報告です。
前年度は剰余金(会社で言う「利益」にあたるもの)がマイナス計上となりましたので、今年度の予算から金1万円、および有志の祈祷師からそれぞれ金1万円ずつを公益財団法人日本財団様に東日本大震災復興プロジェクトの活動資金として寄付させて頂きました。
震災の日から2年半が経過し、今でも現地では復興へ向けて大変な尽力をされている方が大勢おられます。
遠くから視線を送るだけでなく、今一度自分たちのできること、自分たちの役割を再認識してまいりたい所存です。
少し時間が経過してしまいましたが、上記ご報告申し上げます。

 これまでも我が国の異常気象ぶりは報じられてまいりましたが、今年はいよいよ本格的な気候変動が表れたといっても過言ではないのではないでしょう。
入梅宣言とともに降雨の気配は一切なくなり、摂氏40度を超える酷暑が続き、梅雨明けとともに各地で1時間あたり百数十ミリという豪雨が観測され、平野部では竜巻様の現象が発生。
多数の犠牲者が出たとの報道を耳にいたしました。
自然現象ばかりは人間の力の到底及ぶものではありません。如何に共存して行くか、ということが古来から人間に与えられた課題です。

 また、平成24年~26年にかけては、約20年周期で訪れる「祈祷の効果が大変強力に表れる時期」でもあります。
祈祷の絶大な効果が表れる瞬間を指して『天鳴り地鳴り』と表現されることがありますが、天変地異と祈祷(呪術)とは古来より密接な関係がありました。
20年前の「台風19号」(1991年9月末)では、ここ広島市でも多大な被害が出ました。
さらにおよそ20年前の 1972年は、八丈島が何度も大地震に見舞われました。1972/2/29 震度5強相当(M7.0)、1972/12/4 震度6弱相当(M7.2)、など。(※参考:同時期に某大事件および全員逮捕。)
さらに20年前にも、大地震が相次いで発生しました。1952/3/4 北海道十勝沖で震度6強相当(M8.2)、1952/3/7 石川県西方沖で震度5強相当(M6.5)など。(※参考:同時期に、重大な条約批准とその反対派の不審な失脚。)
さらに20年前は、非常に大きな台風が通過し、主に汽船や船舶が難破するなどの大被害を受け、広範囲で家屋の崩壊が発生しました。1930/7/下旬。(※参考:同時期に支那国の大事変)
「人事を尽くして天命を待つ」は、自分の出来る範囲のことをすべてやった後は運を天に任せて静かに待とうという意味でもありますが、
人間のできることの範囲というのは(自然界=天の意思に比べて)どれだけ小さいか、ということをしっかり理解して物事に臨むべしという教訓も含まれています。
防災は自然に抗うことではなく共存共生していくことであると再認識し、古来の日本人のように自然と「仲良く」できる文化を取り戻したいものですね。

(香苗)
おはようございます。香苗です。
台風17号も、ここ広島周辺ではさほど大きな被害もなく、最接近時に「御幣」(ごへい)があちこちに吹き飛ばされた程度で済みました。
私がこの程度で被害を訴えていては申し訳なく、昨夜、愛知県東部に上陸した台風17号は東日本各地に大きな爪痕を残したと伺っております。
雨・風ともに史上稀に見る規模であったとのことで、被害に遭われた方々には心よりお見舞申し上げます。

 海外では台風に名称を付ける慣例もあるそうですね。米国などではアルファベット順に、男性名・女性名を交互に付けるのだとか。

 最近当会では、外国人の方に対するご祈祷も実施させて頂く機会が多くなってまいりました。
ただ、概念としての「ご祈祷」「呪術」というものを、どこまでご理解いただけているかは、不明です。
おそらく彼ら・彼女らは、自分たちが今から依頼しようとしているモノを "Magic" すなわち直訳するところの「魔術」であると思っているでしょう。
私たちが言うところの「呪術」や「ご祈祷」を明確にご理解頂くには、それ相応の時間と労力を要します。

 どのような解釈の相異があり、その解釈や認識の違い・概念の違いを理解してもらうためには、どのような労力を要するかと言えば、例えるならば「いただきます」の概念に似ています。
日本では当たり前のように、食事の前に「いただきます」と言うのが慣例になっています。
仏教徒の方は合掌をしますし、それ以外の人も合掌まではしないにしても、「いただきます」の概念は共通して持ち合わせています。
キリスト教徒の方の、食事の前のお祈りにも似ていますが、若干その性質は異なります。
食事を与えてくださった神様に対する感謝というよりも、私という命をつなぐために数々の動植物の生命をありがたく頂戴し、その生命を育んでくれた自然に感謝する概念であり、
そうした食事を私に与えるために、あちこちを走り回って獲物を捕らえ、植物を育て、収穫してくれた方々に対する感謝の気持ちが「ご馳走さま」です。
「馳」「走」いずれも「はしる」という意味があります。

 以前、まだ私が学生だった頃に、海外から留学で日本に来られた方に「いただきます」の概念を説明しようとして、「now I'll take your soul or life, thanks.」であると伝えたところ、毎食そんな恐ろしいことを言っているのか、と誤解されてしまったことがあります。
幸い、その後時間をかけて説明していくとある程度はご理解いただけたようで、私のせいで歪んだ解釈をされたまま帰国してしまうことを、なんとか防ぐことができました・・

紗季です。ご無沙汰いたしております。

現在お受けしているご祈祷に関連し、祈祷所をなかなか離れられない日々でございます。
そのため、先日の記事でご紹介した香苗さんに、メール送受信や事務処理、当ブログの投稿管理など、一部の業務をお手伝いしていただくこととなりました。
香苗さんは、基本的に平日は毎日社務所に来ていただくことになっております。
まだまだ正式に祈祷には携わることのできない彼女ですが、精一杯皆様のお力になれるよう尽力されております。
至らぬ点もあろうかと存じますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

紗季です。

ラッキーな出来事に遭遇したときに、「これで『運』を使い果たした」と感じる人も多いかと思います。
「運」や「幸福」というものは、決して、ある一定量が用意されていて、あとはそれを少しずつ消費していくものではなく、
積み重ねていくものと考えるのが適切でしょう。
「運」や「幸福」を積み重ねていくと、さらなる「運」や「幸福」がやってまいります。
その「運」や「幸福」は、独占してしまわずに、周囲の人々にも分けてあげてください。
そうすることで、今度はその人と一緒に、さらなる「運」や「幸福」を積み重ねていくことができるようになります。

「運」や「幸福」を使い果たしてしまったと悲観していると、次の「運」や「幸福」は遠のいてしまいます。
それを指して「やっぱり使い果たしてしまったのだ」と落胆してしまうと、これまで積み重ねてきたものも崩れてしまいます。

奥物部へ

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紗季です。

 私自身のエネルギー充填(?)のため、急きょ奥物部へ出向いてまいりました。
頭も体も心も空っぽにし、新しい「気」を頂いてまいりました。

高知県の東部、物部川沿いにある急峻な山々に囲まれた地域です。
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この地方は、皆様もよくご存知の、いざなぎ流祈祷の発祥の地として知られています。今なお多くの祈祷師(太夫)が活躍されています。
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紗季です。
旧年中は格別なご高配を賜り、誠に有難く、厚く御礼申し上げます。
平成二十四年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

激動の平成二十三年でしたが、本年、皆様方におかれましてはどのような幕開けでしたでしょうか。
元旦からおよそ三日間は、地元の神社は初詣の参拝客で賑わっておりました。
ちなみに、この期間ばかりは巫女も緊急募集(いわゆるバイト)が掛けられるようですね。
おみくじを引かれた方も多いのではないでしょうか。できれば「吉」や「凶」だけを見てすぐに枝に結んでしまわずに、ちゃんと持って帰って本文をじっくり読み、今年一年を幸せに生きる上での参考にしたいものですね。
今年から来年にかけては祈祷の効果も大きく出やすい時期とされます。
私自身も気を引き締めて、一人として途中で諦めてしまわれる祈願者様の無きよう、そして一人でも多くの方が心願成就されますよう、心よりお祈り申し上げ、新年のご挨拶とさせていただきます。

紗季です。
暦の上では秋とは言え、まだまだ本格的な暑さには悩まされますね。

 さて、この度、結婚が決まりました。


とはいえ、私ではなく、私どもの組織に所属する、女性の若い見習い祈祷師、香苗さんです。
先を越されてしまいました(笑)
見習い祈祷師の身分ですので、皆様へのご祈祷をお受けするにはまだ少し時間がかかるかと思いますが、どうか彼女らの幸せを応援して差し上げてください。

「祈祷師」あるいは「見習い祈祷師」というと、どのような印象をお持ちでしょうか?
生まれてすぐに神童と崇められ、学校も行かずに修行を積むことで、何か不思議な力を手に入れられる。
そんな印象をお持ちでしたら、それは空想の世界の出来事です。
少なくとも私どもでは、見識・良識のある成人もしくは成人に近い年齢になってからの修行開始となりますし、そのためには希望者には大学に進学させたりもしています。

大勢の方々から相談をお受けするにあたって、あまりに常識を知らないと、何も助言をすることができないだけでなく、先方様に不快感ばかりを与えてしまいます。
法律の基礎も知らないで「法的手段を検討してみてください」と言ったところで、何の説得力もありません。
科学を知らない人から「科学的だ」「非科学的だ」といった話をされても、何ら信憑性がありません。
恋愛も知らないで、恋愛相談や縁切り相談を受けられるはずもありません。
会社運営を知らない人が、企業死の祈祷を提案することは不可能です。

世間を知り、常識を学び、自然科学を学び、人文科学を学び、恋愛を経験し、一定の社会経験を積んで、
その上で自分の力を人のために使うことに生き甲斐を感じるようになる、
その段階で、はじめて祈祷師としての修行に着手することになります。

ある者は社会経験を積むために就業し、ある者は大学へ進学して一つの学問を追求し、
またある者は神道学を学んで「神職」の資格を取り、ある者は家庭の中で家族の幸せを追求しながら、
それぞれ置かれた立場の中での自分の役割を知り、そして自分の力を世のためにどうやって役立てられるかを追求します。
どこかの時点で私どもの修行が終わることはなく、私どもは常に修行中の身であり、ある程度の段階で「祈祷師」の称号を与えられます。(祈祷師拝命)

どうか皆様、「祈祷師」を敷居の高い存在と思わないでください。
世の中にはまだまだ私どもが知らないことの方が多いわけですから、私自身も皆様から勉強させて頂きたい心構えです。
どうぞこれからもよろしくお願い申し上げます。

紗季です。
秋分の日を過ぎてから、途端に日差しも和らぎ涼しくなりましたね。朝晩は寒いくらいです。
この時期が一番体調を崩しやすいときです。どうか皆様もご自愛なさってください。

 さて、先日まで専願祈祷をさせて頂いた女性から近況報告を頂戴いたしました。祈祷を始めてからこれまでに、自分でも分かるような、内面・外面の変化や成長を感じることができ、さらには資格取得という新たな目標まで見出すことができ、祈祷前と比べて大変充実した毎日を送れるようになったと、嬉しいご報告を頂きました。

 私どもでは、祈祷そのものもさることながら、祈祷に入る前のご相談を重視していることは、これまでに何度も述べて参りました。急いで祈祷の儀式を始めてほしいという方が多いのですが、実際に話しを詳しく伺ってみると、実は最終的な目標が曖昧だったり、単に怒りに任せて「アイツを殺したい、だから呪いに頼りたい」という、憎悪心にのみ基づいたご依頼であったりすることが多く、この状態で祈祷を始めてしまってもほとんど効果は期待できないことをお伝えし、まずは何よりも「冷静な心」で事態を客観的に見て頂き、自分が本当に望むことは何なのか? ということに真剣に向き合っていただきます。
そして、心願成就(願いが叶うこと)への物語の、主人公は祈願者様自身であることを認識していただきます。その上で、私ども祈祷師が、祈祷をもって「お力添え」させて頂く立場に過ぎないことも併せてご理解いただきます。
今回ご報告を頂いた女性の方は、その点を非常によくご理解いただけました。

 自分から「変わろう」という心掛けさえ無いのに、呪術に100%依存しても、どうして効果が得られるでしょうか?
ゼロには、何をかけても「ゼロ」のままです。
これから祈祷をご検討されている方には、是非とも、
祈祷師の役割は、祈願者様に「足し算」をするのではなく「掛け算」であるという認識をお持ち頂きたいと思います。
祈祷師を敵にするも味方にするも、貴女の心掛け次第です。

紗季です。
地元・広島県をはじめ、西日本を中心とした各地で豪雨による土砂災害が多発しております。
被害に遭われた方々、謹んで哀悼の意を申し上げます。

 満月・新月で、風も雲もなく穏やかな日の夜は、呪詛の効力は一層強力なものになると言われております。
また逆に、皮肉にも、先日から続いているような豪雨・強風・雷鳴・地鳴り(?)といったの激しい天候下でも、大変効果的な呪術を行うことが可能となります。
今週は全国でも西日本の災害を報道された関係か、特に私どもの身を案じて頂くメールを多く頂戴しております。
私どもや周囲の関係者には、今のところ被害を受けたとの報告は上がっておりません。ご心配、痛み入ります。

紗季です。

日中の日差しが、徐々に夏のそれになってまいりました。
衣替えをすべきかどうか判断のつき難い毎日です。

さて、私どもが「究極且つ最終的な呪術」と表現している「呪殺祈祷」ですが、
先日も祈願者様からの成就報告を受け、祈祷終了した一件がございました。
皆様は、呪殺祈祷を依頼される人について「呪殺をも持ち出すほど憎悪に満ち溢れた祈願者ばかり」、とお考えではないでしょうか?
もちろん、相談に来られた当初は「なんとかしてアイツを殺したい!」といった憎悪心のカタマリのような状態の方ばかりです。
しかし、そうした際に私どもは、そもそも呪術というものは憎い相手に悪さをしてやろうという目的で成り立ったわけではなく、
本質は「歪んだ現状を正す」ことにあるのだと説明いたします。
そして、性急に結論を出そうとされる依頼者様にも時間をかけてやり取りを重ね、冷静さを取り戻されたところで改めて「本当に呪殺祈祷が必要かどうか」をお尋ねします。
それでもなお祈祷が必要という判断がなされた場合にのみ、私どもは正式に「呪殺祈祷」をお受け致します。
憎悪心だけに基づいて依頼に来られた方は、冷静な心を取り戻されてからは「まだ呪殺までを検討すべき時期ではない」といった正常な判断をされます。
そのため、「呪殺祈祷」を実施するにあたって、その祈願者様は、憎悪ではなく冷静な心、使命感すら感じさせるオーラに満ち溢れた状態で儀式に臨まれています。
憎悪心が強いうちにもし成就してしまったならば、「取り返しのつかないことをした・・」という後悔が生じてしまいます。

呪術に臨むにあたり、正常な心を持たせることも、祈祷師の役割であると考えます。

紗季です。

企業(法人)も同様に、呪術の対象となることがあります。
特に企業の破綻・倒産などを目的とした場合、私どもではこれを「企業死」と表現しております。

企業死のケースは、とにかく迅速さが求められます。
生半可に呪術を実施すれば、一番被害を受けるのは末端の従業者のみで、狡猾な経営者自身の財産は守られ意外と早い段階で再生してしまうのが現状です。注意が必要です。

成就の難易度が企業の規模に比例するかと言えば、実はそうではなく、やはり経営者と従業者が一丸となって結束していたり、強い目標・夢を持つ企業に対しては成就が難しく、逆に従業者が常日頃から転職情報をチェックしていたり覇気の感じられない企業ほど、規模に関わらずあっさりと「企業死」してしまうように感じられます。

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