珠玖深原 紗季でタグ「紗季」が付けられているもの

紗季です。

金運について考えてみました。

紗季です。

本日 8月6日、広島は72回目の原爆の日を迎えます。
1945年のあの朝、広島は死の町と化しました。
あれから72年、この街は驚くほどの発展を遂げています。
忘れないためにも、私たちが語り継いで行かなければなりません。

(香苗)

香苗です。
本日は『勤労感謝の日』で、祝日です。
昭和23年に施行された「国民の祝日に関する法律」により制定されました。
本来は『新嘗祭』という祭事がおこなわれる日で、五穀の収穫を祝い、神様に感謝する日です。
こちらは歴史が古く、皇極天皇という女帝の頃から始まったとされていますから、もう1400年近くも続いている行事ということになります。
現在我が国には「祝日」はありますが、「祭日」は無くなりました。
祭日というのは、宮中行事が行なわれる日という意味、あるいは神道の霊祭が行なわれる日という意味です。
新憲法施行後も宮中行事は変わらず行なわれています。
「祭日に戻せ」とは言いませんが、今一度我が国の風習文化を見直し、改めて様々な物事に対して感謝の気持ちを持てる機会を作っていきたいですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%98%97%E7%A5%AD
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%A4%E5%8A%B4%E6%84%9F%E8%AC%9D%E3%81%AE%E6%97%A5

(香苗)

 はじめまして。
紗季祈祷師に代わって、筆を取らせていただきました。
"筆" というのも妙な表現ですけれども・・

 今夏もたくさんのご依頼人様が、成就のご報告に社務所にお越しになりました。
このところ紗季祈祷師もほとんど社務所に戻れない日々を送っており、代わってお話しをお伺いいたしましたが、
私も何人かの方々から貴重なお話しを聞くことができました。
特徴的に感じたのは40代半ばの男性と女性。ご一緒に来られて、私はてっきり縁結びのご祈祷が実を結んだものと思っておりましたところ、
どうやら、縁切り祈願の成就のご報告だそう。
元々お二人はご夫婦で、ともに職場でも責任の重い立場にあられます。
ご主人ではなく、奥様のご都合での長い単身赴任生活。
いつしかお二人の間にはすれ違いや誤解が生じ、亀裂となり、深い溝になって行きました。
その後、(元)ご主人からの縁切り祈願のご依頼があったのは必然の流れだったのかと・・

 当初は(元)奥様への怒り・憎しみに溢れていた口調も、日が経つにつれ、これまでのいろいろなことへの感謝の言葉に変わってまいりました。
変化の兆しが見られてから成就までは、それほど時間はかかりませんでした。

 そのお二人が、何故かそろって社務所にお越しになりました。
(元)ご主人のお話。
「こういった距離感でつながりを持つこと自体の概念が、今まで自分には無かった。夫婦であるということを自分が勝手に重たく受け止めていただけかもしれない。
今あるものへの感謝を忘れ、常に何か足りないという不満と焦りばかり。これではお互いに幸せになれないのは当たり前だ。夫婦という呪縛から解けた今、心からの幸せを感じている。
幸せな縁切りというのもあるんだなぁ、と実感している。」

 まだまだ修行中の私ですが、この一件は目から鱗が落ちたと申しますか、貴重な御意見を伺うことが出来ました。
お越しいただいたKさん・Iさん、どうぞこれからも、お "幸せ" に!

紗季です。

ラッキーな出来事に遭遇したときに、「これで『運』を使い果たした」と感じる人も多いかと思います。
「運」や「幸福」というものは、決して、ある一定量が用意されていて、あとはそれを少しずつ消費していくものではなく、
積み重ねていくものと考えるのが適切でしょう。
「運」や「幸福」を積み重ねていくと、さらなる「運」や「幸福」がやってまいります。
その「運」や「幸福」は、独占してしまわずに、周囲の人々にも分けてあげてください。
そうすることで、今度はその人と一緒に、さらなる「運」や「幸福」を積み重ねていくことができるようになります。

「運」や「幸福」を使い果たしてしまったと悲観していると、次の「運」や「幸福」は遠のいてしまいます。
それを指して「やっぱり使い果たしてしまったのだ」と落胆してしまうと、これまで積み重ねてきたものも崩れてしまいます。

紗季です。

昨日、平成24年3月11日 で、東日本大震災発生からちょうど1年が経ちました。
国立劇場では政府主催の、そして各地でも慰霊祭が挙行されました。
天皇陛下が冠動脈バイパス手術をこの時期に受けられたのも、一周年となるこの日に国民の前に元気な姿をお見せになりメッセージを発信するためでした。
陛下は昨年3月16日、被災者への励ましの言葉と共に『自衛隊、警察、消防、海上保安庁』の名を挙げられその背を押されました。此れは訓練にあらず、今こそ我が国のために力を貸して欲しいという激励、このお言葉を聞いた隊員・職員は皆大きな勇気をもって現場に突っ込んで行きました。
諸外国の協力もあり、震災直後の事態の収拾スピードは非常に速かったのを記憶しております。
1年経った昨日は、『ボランティア、原発事故に対応すべく働いてきた人々、消防団員』を挙げられ、労をねぎらわれました。
そして私は、陛下のお言葉の本質は『国民皆が被災者に心を寄せ』にあると解釈しました。
1年経った今、特に私のように遠方に住まう者にとって、どこか「遠くの出来事」という感覚で被災地を見てしまっている気がします。
昨年の漢字に【絆】が認定されたにも関わらず、被災地の瓦礫の受け入れを表明した都道府県は、東京都と山形県と青森県だけ。1年で処理できた瓦礫の量は、全体のわずか7%程度に留まるのだそう。
国民全員が被災地・被災者へ心を寄せ、より一層「自分のこと」と考えることが、震災からの復興、ひいては我が国の国益につながります。
一人ひとりができることは限られていますが、力の無い私たちでも結束すれば大きな力になります。
裏付けの無い浮いた情報に心惑わされず、正しい情報を得て、正しい判断をし、自身の力を最大限に活かしたいと思います。

 「国益」の話題が出たところで、つい先日のことをお話ししたいと思います。
私どもも、このところ、随分難しい案件をお受けする機会が増えてまいりました。
兼ねてより、我が国の自衛隊基地や米軍基地の周辺の土地を、外資が買い漁っている事実については皆様もご存知かと思います。
先の大震災発生後、その動きが顕著になってまいりました。
諸外国では、他国籍の個人・企業に自国の土地を譲渡することだけでも大きな制限がかけられているのが通例ですが、我が国ではそこまでの障壁は無いそうです。
まして、軍用地の周辺などは、自国民にすら売却することはない、特殊な土地なのです。しかし我が国ではそうした制限をしておらず、軍用地周辺の土地の所有者の一存で、誰に売却しても良いことになっているそうです。固定資産税を払い切れなくなって手放そうとする個人所有者に対して、特に支那と呼ばれる隣国が格安での購入を持ちかけてくると聞きます。
ちなみにその所有者の方は「絶対に外国には売らない!」と、我が国の国益を必死に守っておられました。
そんな状況の中、ある外資の関係者から、そうした軍用地の周辺土地の所有者をナントカして欲しいとの相談があり、金には糸目をつけないといった趣旨のことを話されていました。
本来、依頼者様(祈願者様)の諸事情にはあまり深く関与せず、ご祈祷に必要な事項をお伺いして祈祷料を頂戴することで、依頼者様が話したくない不都合なことにまでは触れないようにご祈祷を進めるのが常です。
ただし、成就させることによってひいては我が国の国益を大きく損なうことに対して、私どもは力を貸す気は毛頭ございません。私は祈祷師である以前に日本人です。
自国のことを自国民が命懸けで守っていく態度こそ、諸外国に対する力強いメッセージの発信となり、諸外国と同じステージに立って話ができるというものです。
戦後60年で私たちは「自力で守る」ことを忘れかけているような気がします。
今一度「国益」とは何かということについて、真剣に考えていかなくてはならない時期です。

紗季です。

 先日、大学生の方のご相談をお受けする機会があり(男性)、
その余談で就職活動に関する話題に触れました。
厳しい状況であることは既に皆様もご存知かと思います。
相談者の方もかなり苦労されている様子。
何枚もあらかじめ準備されている履歴書と、各社のエントリーシート。
これらに対して「金太郎飴ですか?」と揶揄しましたが、判でついたように中身は同じ。
相談者の方は、下手な鉄砲でも数撃てば当たると思います、とおっしゃっていましたが、どうやら諺の解釈を誤っておられるようですね。

 「下手な鉄砲」というのは、力を抜いて片手間に物事をおこなうという意味ではなく、
下手なりにも時間をかけて最大限の力を注いだ結果として出来上がったモノ、という意味であって、
それが決して『完璧なモノ』とは言えないかもしれないけれども、独特の個性と魅力を持った『その人らしいモノ』だからこそ、
『下手な鉄砲』でも、根気よく続けていればいずれ認められる日も来るという意味です。

 鉄砲を構えても、的の方を向いて撃たなければ、数を撃ったとしても、まぐれでも当たりません。
鉄砲を構えて、少なくとも的の方に向けて狙いを定めることが大前提であって、そこまでできれば、あとは「下手」であっても数を撃てばそのうち当たることもあります。

 一方、別の日に、今度は採用側の立場の方からも意見を聞く機会がございました。
優秀な人材を採用できればベストだけれども、それは不可能に近い。それよりも、『馬鹿』を採用してしまわないことに注力している、とのことでした。
『馬鹿』というのは学力の意味ではなく、人と(まともに)会話ができなかったり、「個性」をはき違えていたりする人物を指すそうです。
その採用担当者の方が、ある日社内のいろいろな部署に「どんな人材がほしいか」と尋ねて回られたそうです。
すると、経理部門からは「コミュニケーションができて、向上心があって、素直な人」との回答、営業部門からは「明るく誠実、人と話ができて、向上心がある人」、技術部門からは「熱心で、探究心にあふれていて、なおかつ機械ばかりでなく人とのつながりも持てる人」。
 結局はどの部門でも、同じような人材を求めているのですね。

紗季です。
旧年中は格別なご高配を賜り、誠に有難く、厚く御礼申し上げます。
平成二十四年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

激動の平成二十三年でしたが、本年、皆様方におかれましてはどのような幕開けでしたでしょうか。
元旦からおよそ三日間は、地元の神社は初詣の参拝客で賑わっておりました。
ちなみに、この期間ばかりは巫女も緊急募集(いわゆるバイト)が掛けられるようですね。
おみくじを引かれた方も多いのではないでしょうか。できれば「吉」や「凶」だけを見てすぐに枝に結んでしまわずに、ちゃんと持って帰って本文をじっくり読み、今年一年を幸せに生きる上での参考にしたいものですね。
今年から来年にかけては祈祷の効果も大きく出やすい時期とされます。
私自身も気を引き締めて、一人として途中で諦めてしまわれる祈願者様の無きよう、そして一人でも多くの方が心願成就されますよう、心よりお祈り申し上げ、新年のご挨拶とさせていただきます。

紗季です。

来る 2011/12/10~11 にかけて、大規模な皆既月食を見ることができます。
この度の月食は、食の始まりから終わりまでを日本国内で観察できる稀な機会です。
この日は、ここ広島では良い天気の予報です。
祈祷所からも、きっとその様子が窺えるかと思います。

月食・新月・満月は、祈祷に大きな効果をもたらすとされます。
ただし、その効果がすべて「有利」に働くとは限らず、不利に働く場合にはその点を逆手に取ってうまく「利用」してやることで、祈祷への「好条件」として取り入れることが可能です。
これは日常生活でも同様かもしれませんね。
苦手な事や苦手な人は、誰にでも幾つかあるものですね。
もちろん、苦手な事・苦手な人から逃げてしまうのは簡単ですが、
敢えて立ち向かうことで自分自身を高めることができます。
苦手な事を克服できるかもしれませんし、あるいは一人で抱えてしまうのではなく、その分野を得意とする人を探しているうちに人脈が広がることもあります。
苦手な人とも、頑張ってコミュニケーションを取るうちに、意外と親しくなれるケースもありますし、
あるいは反面教師として「あの人のこういう部分が嫌いなので、自分はそうならないように気をつけよう」と考えれば、それだけでも大きな勉強になります。
世界人口は、先日で 70億人に達したと報じられました。
生きているうちに出会える人の数は、そのうちの何%くらいでしょうか。
今目の前にいる人と出会えたことは、70億分の1 の確率とも言えます。
ジャンボ宝くじの1等は 1000万枚に1枚の割合で、毎年何回も販売・抽選されているにも関わらず、実際に当たった経験のある人が周囲にどれだけ居るでしょうか?
目の前に居る人と、どのような経緯であれ、巡り合えた機会を最大限に活かしたいものですね。

紗季です。

昨日(11/11/21)は、夕刻に広島県北部を震源とする地震が発生し、交通などに影響が出たようですが、幸い大きな被害も無く、私どもも確認できている中では皆無事でした。
皆様からたくさんのメールを頂きました。
私どもとは別の祈祷師の組が、ちょうど震源あたりの祈祷所で『禁忌の秘呪』をおこなっていることもあり、
古来より伝えられている、"天鳴り、地鳴り、これらが合わさった時に秘呪が完成する" といったことを思い出し、
ひょっとすると成就の表れであったのかと考えておりますが、詳しい知らせが入っていないため詳細は分かりません。

紗季です。

 以前記事にも取り上げましたように、私どもの組織では、不定期ではありますが、いろいろな宗教の方々と交流する機会を設けております。
先日は、とある新興宗教の幹部に近い(?)方とお会いする機会がありまして、その「教義」を聞いて欲しいと言われて、(やや話半分に)耳を傾けました。
教義書(?)の序章にあたる部分を解説して頂きましたが、ところどころに他の宗教・信仰を頭ごなしに否定する箇所があったりして、第一印象としては「後味が悪い」の一言に尽きる感を受けました。
当然ながらその印象を率直に伝え、「貴方の教義」が真に述べたいこと・伝えたいことは何であるのかを徹底的に議論いたしました。
いかなる宗教・信仰も、決して「排他的」になってしまってはならないと思います。排除してしまった相手方は、必ず今度は私たちの方を排除してきます。
そうすると両者は、それ以降一切相容れない関係に陥ってしまいます。
 「どう考えても間違っている」と思ってしまっても、相手を全否定する前に自分自身で「具体的にどの部分が間違いだと感じたか?」「理屈としてオカシイのか?心情的に許せないのか?」「悪を正そうとしている自分は、ちゃんと筋を通しているのか?」といった自問自答をしてみても遅くはありません。
議論した結果、やっぱり自分自身の考え方とは合わないと感じたら自分が取り入れなければ良いだけであって、逆に良い考え方だと思えば自分自身も取り入れて行けば良いだけです。

 会社で商品の売込みをされる「営業担当」の方からも、やはり同じような意見が聞かれます。
同種の商品を扱うライバル企業を頭ごなしに否定してばかりでは、かえって自社の印象が悪くなってしまいます。
相手の商品はこういったメリットがあり、こういったデメリットがある。当社製品にも同様にある。御社のビジネススタイルに照らした場合には、相手企業の商品ではなく、当社製品のメリットを活かす方が効果的で収益も上がるだろう。
そうした誠実で親身な対応こそが相手の心をつかむものになります。
そして、今まで取引をしてきた相手企業から当社に乗り換えてもらう際にも、相手企業を無下にするのではなく、筋を通して取引を終えてもらうように尽力しなければなりません。

感謝。

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紗季です。

先日の記事をご覧頂いた方々から、お気遣いのメールをたくさん頂戴いたしました。
祈祷にあたらせて頂いた祈願者様ご本人のみならず、過去にご祈祷させて頂いた方や、初めてご相談頂く方からも心温まるメールを頂戴いたしました。
まずはご心配お掛け致しましたことをお詫び申し上げます。
と共に、祈祷師として本来は祈願者様に誠心誠意お力添えし、時に叱咤し、祈願者様の心願成就へ向けて共に尽力して行くべき立場であるにもかかわらず、逆に祈願者様からお気遣い頂き温かい言葉を頂戴し、たくさんの「パワー」を頂くことができ、おかげさまですっかり回復し実務に復帰することができました。
このことは私自身の何よりの励みとなりました。
今後も祈祷師として誇りを持って、祈願者様と一体となり、心願成就へ向けて共に尽力してまいりたいと思います。
どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。

紗季です。
ここ数日間、祈祷所で寝込んでおりました。
祈祷中に油断してしまったためか、呪い返しにやられてしまいました。
1~2日は意識がなく、気付けば古参(ベテラン)の祈祷師から「排呪」を施して頂いているところでした。
幸い後遺症もなく、間もなく祈祷に復帰できる見通しです。
祈祷所と社務所を行き来する日々が続いておりましたので、無理が祟ったのかもしれません。
 皆様方におかれましても、これから暑さも厳しくなりますので、無理のないように暑さ対策をしながらお過ごしくださいませ。
そして、くれぐれもご自身で見よう見まねでの呪術行為をおこなうことは避けてください。

奈良へ

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紗季です。

先月のお話になりますが、
私どもでご祈祷させて頂いた方からご連絡があり、復縁成就に至ったとご報告を頂戴いたしました。

心願成就のご報告をされたいとのことで、私どもの地へお越しいただきたかったのですが、
依頼者様の身体的な問題もあり、遠方へはなかなか困難であるとのこと。
それではと、私どもの方からお訪ねした次第です。
奈良では、「遷都1300年祭」の名残で平城京跡がそのまま残っていました。
その目の前のバス停の名前、どうも運命を感じてしまいます・・
奈良公園では鹿と戯れ、せっかくだからと「東大寺」も訪問いたしました。
何度見ても圧巻ですね!

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 お二方には駅まで迎えに来て頂いたのですが、私どもが勘違いして JR線 と 近鉄線を間違ってしまいました。結局タクシーでの移動となり、お二方にはご迷惑をお掛けしてしまいました。
奈良を訪れるといつも「歴史の中に我あり」と感じます。
町並みも落ち着いており、時間が許せば昔のようにまた、のんびりとすみずみまで旅して周りたいものです。
お二方のご多幸をお祈り申し上げます!

紗季です。

 3月11日の昼下がり、私どもの経理担当の者が外出から戻って来て、「日本は大変なことになっているようだ」という一言から、大地震、ひいては大震災の事実を知りました。
私どもは広島にあり、皆無事でした。

 ただちに関東~東北にかけての祈願者様に対して安否確認のメールを送信いたしました。
何人かの方々からはただちに返信があり、翌々日の日曜日までには全ての方々から無事の連絡があり、ひと安心致しました。
皆様口をそろえて「生まれて初めての大きな揺れ、恐怖しか感じなかった。」と、その瞬間を振り返っておられました。
「部屋はメチャクチャだが、身体は無事。皆で助け合って乗り切ります。」とは、以前祈祷をさせて頂いた女性。

 以前、企業復活の件でご相談を頂戴し、祈祷をさせて頂いていた方からは、「社屋も大きな被害を受けたが、今回のことを機に社員が団結し、会社復興に全力を注ごうという、良い気迫が感じられるようになった。震災は大きな痛手だが、社員結束が得られたのは何にも代え難い。社員皆無事、これほど幸せなことは無い。」といった連絡が今朝方届きました。(北関東のとある会社。)

一方で、昨年末から呪殺祈祷を実施させて頂いていた東北地方の方からは、
「このような形で成就するとは思ってもいなかったが、今回の震災の被害者になる形で、亡くなりました」といった報告がありました。 その後は、通信手段もなかなか得られないこともあって状況や心境をお伺いするには至っておりません。(禁忌の秘呪 にて実施しました)

 世界各国から励ましのメッセージや、支援の手が差し伸べられています。
日本人は、強い国民です。
そして、世界に誇れる『民度』を持っています。
1人1本と配給される水を、ちゃんと1本ずつ律儀に受け取ることができます。
スーパーに散乱する商品を丁寧に拾って、会計の列に並ぶことができます。
信号の点かない交差点では、お互いに譲り合って事故無く通過することができます。
なんとか動き出した電車に詰め込まれても、こんなときでも若者はお年寄りに、お年よりは妊婦に、席を譲り合うことができます。
大和魂の底力をもって、我が国最大の国難に日本民族一丸となって立ち向かいましょう。
すべての日本国民に幸あらんことを。

紗季です。

今年の3月19日は、月が地球に最も近付く日です。
とは言え、もともと平均38万km以上も離れているものが
35万km余 まで接近するといった、大きな規模の話です。
注意して見ても、「大きさが違うか」と言われれば
「違う気もする・・」といったくらいの感じでしょうけれど、
普段よりきれいに見えるのは間違いないでしょうね。

当日の天候次第ですね。

紗季です。

私どもの組織の別の祈祷師の組が、只今「企業復活」へ向けて御祈祷を実施させて頂いております。
ちょうど1年ほど前に「企業死」について取り上げたことがございましたが、まさにその真逆の御祈祷です。
 ※【企業死ということ】

紗季です。
旧年中は格別なご高配を賜り、誠に有難く、厚く御礼申し上げます。
平成二十三年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

皆様は、初詣にはいらっしゃいましたでしょうか。
旧年の感謝を捧げ、新年の無事故無病や家内の安全平穏を祈願するお参りで、まずは氏神様をお参りするのが良いとされています。是非とも、まずは地元・最寄の神社をお参り致しましょう。
もちろん、規模の大きい著名な神社をお参りされることも、大変価値のあることです。

元日には神社にお参りし、挙式はキリスト教式、葬儀はお寺さんを呼んで、大晦日には除夜の鐘を突く、という、私たち日本人の「多神教観」に基づく一連の慣習を、むしろ誇りに思うべきであるといった 記事 を以前投稿いたしました。
「無節操」と思うことなく、存分に私たち特有の「文化」に対して誇りを持って頂きたいと思います。

本年もよろしくお願い申し上げます。

紗季です。
先日、地元の(とは言え少し離れているのですが)素盞嗚神社をお参りいたしました。
清らかな「気」を頂戴できました。

神社をはじめ、こうした神聖な域で「気」を頂戴しようとする場合、まずは自分の中の「気」をすべて神様(神社の場合)に捧げて自分を空っぽにし、次は神様から清らかな「気」をたくさん頂く、という心構えが必要ですね。
もらってばかりでは、私や貴女の「器」が溢れてしまいます。
今風に言えば「give and take」の精神ということになるでしょうか。
神様にとってみれば私たち人間の「気」など取るに足らないと思われているかもしれませんが、まずは自分から捧げようという「心」を神様は見ておられます。
呪術・祈祷に臨まれる祈願者様に「覚悟」と申し上げているのも、その一環と思っております。

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紗季です。
秋分の日を過ぎてから、途端に日差しも和らぎ涼しくなりましたね。朝晩は寒いくらいです。
この時期が一番体調を崩しやすいときです。どうか皆様もご自愛なさってください。

 さて、先日まで専願祈祷をさせて頂いた女性から近況報告を頂戴いたしました。祈祷を始めてからこれまでに、自分でも分かるような、内面・外面の変化や成長を感じることができ、さらには資格取得という新たな目標まで見出すことができ、祈祷前と比べて大変充実した毎日を送れるようになったと、嬉しいご報告を頂きました。

 私どもでは、祈祷そのものもさることながら、祈祷に入る前のご相談を重視していることは、これまでに何度も述べて参りました。急いで祈祷の儀式を始めてほしいという方が多いのですが、実際に話しを詳しく伺ってみると、実は最終的な目標が曖昧だったり、単に怒りに任せて「アイツを殺したい、だから呪いに頼りたい」という、憎悪心にのみ基づいたご依頼であったりすることが多く、この状態で祈祷を始めてしまってもほとんど効果は期待できないことをお伝えし、まずは何よりも「冷静な心」で事態を客観的に見て頂き、自分が本当に望むことは何なのか? ということに真剣に向き合っていただきます。
そして、心願成就(願いが叶うこと)への物語の、主人公は祈願者様自身であることを認識していただきます。その上で、私ども祈祷師が、祈祷をもって「お力添え」させて頂く立場に過ぎないことも併せてご理解いただきます。
今回ご報告を頂いた女性の方は、その点を非常によくご理解いただけました。

 自分から「変わろう」という心掛けさえ無いのに、呪術に100%依存しても、どうして効果が得られるでしょうか?
ゼロには、何をかけても「ゼロ」のままです。
これから祈祷をご検討されている方には、是非とも、
祈祷師の役割は、祈願者様に「足し算」をするのではなく「掛け算」であるという認識をお持ち頂きたいと思います。
祈祷師を敵にするも味方にするも、貴女の心掛け次第です。

紗季です。
復縁祈願のご依頼が、近年急増しております。
頂戴する文面からだいたいの状況が分かりますので、それに応じてまずはアドバイスさせて頂いております。
中には「頂いたメールを読んで、何度か涙が出ました。確かにおっしゃるとおりでした。」と言って頂ける方もおられ、そういった方々にはまずは「今の気持ちを忘れずに、もう一度ぶつかってみなさい。」と追加させて頂きます。
復縁成就(復縁成功)の秘訣は、やはり自分が変わり、相手が変わり、環境が変わることと考えております。
自分の力の及ばない「相手の心を変える」「環境を変える」という点について、祈祷師が全力で御祈祷させて頂き、お力添えいたします。
祈祷(儀式)だけにすっかり依存してしまうのもまた、危険なことと言えます。せっかく復縁のチャンスが来ても、結局また時間が経てば元の状態に戻ってしまい兼ねません。
自分が変わる・自分を磨く、といった点についても、どうか重視して頂きたく思います。
逆の立場で考えても、いつも悲観的でくよくよしている人と、また一緒になりたいと思うでしょうか? それよりも、常に前向きで「また一緒になれたら、こんな将来を送りたい」といつも明るく振舞っている人は、人間としての魅力にあふれ、誰からも愛される人間になるでしょう。

復縁祈願について
ご相談はこちらからどうぞ

紗季です。
空も低くなって参りました。入梅間近といったところでしょうか。
今朝方、神社敷地内の神木に一体の藁人形が、【呪】の文字と共に五寸釘で打ち付けられているのを見付けました。
どなたかが見様見真似で呪術行為をおこなったのでしょうと思い、神木から除いて奉納いたしました。
ここ最近ではめっきり減っていたのですが、久しぶりに目の当たりにしました。
 手法自体はまったく稚拙で、この程度であれば「呪い返し」も心配ないとは思いますが、それでも今後継続的に実施されるのであれば、注意が必要なのかな?とも思わせられております。
なお、他の神社・寺院でも共通して言えることですが、敷地に無断で侵入したり物件を傷付けると、やはり程度の重軽を問わず刑法に触れる犯罪になってしまいます。
どのような観点からも、「軽はずみな行為は厳禁」と言えるでしょう。

紗季です。

日中の日差しが、徐々に夏のそれになってまいりました。
衣替えをすべきかどうか判断のつき難い毎日です。

さて、私どもが「究極且つ最終的な呪術」と表現している「呪殺祈祷」ですが、
先日も祈願者様からの成就報告を受け、祈祷終了した一件がございました。
皆様は、呪殺祈祷を依頼される人について「呪殺をも持ち出すほど憎悪に満ち溢れた祈願者ばかり」、とお考えではないでしょうか?
もちろん、相談に来られた当初は「なんとかしてアイツを殺したい!」といった憎悪心のカタマリのような状態の方ばかりです。
しかし、そうした際に私どもは、そもそも呪術というものは憎い相手に悪さをしてやろうという目的で成り立ったわけではなく、
本質は「歪んだ現状を正す」ことにあるのだと説明いたします。
そして、性急に結論を出そうとされる依頼者様にも時間をかけてやり取りを重ね、冷静さを取り戻されたところで改めて「本当に呪殺祈祷が必要かどうか」をお尋ねします。
それでもなお祈祷が必要という判断がなされた場合にのみ、私どもは正式に「呪殺祈祷」をお受け致します。
憎悪心だけに基づいて依頼に来られた方は、冷静な心を取り戻されてからは「まだ呪殺までを検討すべき時期ではない」といった正常な判断をされます。
そのため、「呪殺祈祷」を実施するにあたって、その祈願者様は、憎悪ではなく冷静な心、使命感すら感じさせるオーラに満ち溢れた状態で儀式に臨まれています。
憎悪心が強いうちにもし成就してしまったならば、「取り返しのつかないことをした・・」という後悔が生じてしまいます。

呪術に臨むにあたり、正常な心を持たせることも、祈祷師の役割であると考えます。

紗季です。

企業(法人)も同様に、呪術の対象となることがあります。
特に企業の破綻・倒産などを目的とした場合、私どもではこれを「企業死」と表現しております。

企業死のケースは、とにかく迅速さが求められます。
生半可に呪術を実施すれば、一番被害を受けるのは末端の従業者のみで、狡猾な経営者自身の財産は守られ意外と早い段階で再生してしまうのが現状です。注意が必要です。

成就の難易度が企業の規模に比例するかと言えば、実はそうではなく、やはり経営者と従業者が一丸となって結束していたり、強い目標・夢を持つ企業に対しては成就が難しく、逆に従業者が常日頃から転職情報をチェックしていたり覇気の感じられない企業ほど、規模に関わらずあっさりと「企業死」してしまうように感じられます。

紗季です。
年末に、会所属の祈祷師の近親者が亡くなり、先日その葬儀が行われました。
当人が神道を離れて仏教徒になっておられましたので、仏教式での葬儀となりました。
その前日には通夜が行われました。

祈祷師という立場柄、自分自身のみならず近親者や関係者にも相応の影響があるのは宿命(さだめ)であり、私や他の祈祷師たちもそのこと自体にはもう慣れてしまったものです。

地元の真言宗系のお寺の住職様が導師をおつとめになりましたが、私としては初となる「真言宗」の葬儀の経験でした。

「オン・アビラウンケン」という、大日如来の真言を唱えられた後にお経(というのでしょうか?)が読まれ、
おしまいに光明真言を数回、最後に
「願わくは、この功徳を持って遍く一切に及ぼし、我らと衆生と皆、共に仏道を成ぜん」
の言葉で締めくくられました。
印の結び方までは勉強していなかったのですが、真言の意味するところなどを調べるなどして亡くなった方を偲ぶことが死者を弔うことにもなるという考えから、私自身も少し「真言宗」というものに触れて行きたいと感じました。

紗季です。

「神々は 己の内にあるものを 
  外を祈るは 愚かなりけり」
  
神様はどこに居るかと尋ねられたら、私は迷わずその方の胸を指差すでしょう。
神様は、決して神社や記念碑の中に住み着いているのではありません。常に私たちの中から、私たちのことをそっと見守っています。
一番身近なところに居るにも関わらず、どこかに他に居る神様を探して彷徨うのは愚かであるということですね。

ある物事について深く悩んでおられる方も、実は心の中ではすでにある一定の結論は出ているという方がほとんどではないでしょうか。
悩んでいるときも、神様は私たちの中から様々な影響を与えてくれています。だからこそ、そうして悩んだ末に達した結論には、時間をかけて考えたものほど価値があると言えますね。
相談・助言とは、すでに出されている心の中の結論に対して、あと一歩の後押しをすることなのかもしれませんね。

紗季です。
地元の神社を撮影したときのものです。
神様が写りました・・・・か?
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紗季です。
私どもの組織では、不定期ではありますが、他の宗教の方々とも交流をしております。
先日も、仏教のとある宗派の法主様や、キリスト教の聖職者様、イスラム教の支部長様などと懇親会を行いました。
日本にもイスラム教徒が居るのか? と感じる方がおられるかもしれませんが、結構たくさんおられるとのことです。

私ども日本人は、個々が信条とする宗教は異なるものの、やはりどこか深いところに「多神教観」を有しています。
多神教とはすなわち、私ども神道の基本的な考え方ですが、近年この「多神教観」というものが他の宗教の方々にも見直されていると聞きます。先日も同様の意見が多方面から出ました。
「一神教」同士の立場であれば、当然に異文化の理解を図る上で排他的になり障壁になりやすくなってしまいます。

元日には神社にお参りし、挙式はキリスト教式、葬儀はお寺さんを呼んで、大晦日には除夜の鐘を突く、といった点を指摘して「無節操」と表現する考え方や文化もありますが、
逆に私たち日本人はその「多神教観」に基づく一連の慣習を、むしろ誇りに思うべきであると、改めて考えさせられた一日でした。

紗季です。
このところお天気の良い日が続いており、儀式を行う上でも大変助かります。
もうじき季節も秋になり、涼しくなりますとさらに過ごしやすくなりますね。

余談ですが、私ども祈祷師・神職の正装は綿素材や麻素材が中心です。
しかしながら事務職の衣装は化学繊維素材も含まれており、これは風通しがあまり良くないため夏場は苦労するようです。

紗季です。
今日は税務のお話です。

よく、宗教団体には税金がかからない印象を持たれ、
「坊主丸儲け」などという言葉を耳にすることがございます。
(神社ならば「宮司丸儲け」でしょうか?)
しかしながら税金がかからないのは玉串料やお布施・お賽銭・喜捨だけで、
営利活動をおこなえば当然に所得税がかかります。

具体的には、私たちが氏子や信徒様から頂戴する分は宗教活動として
非課税となりますが、一般の方に対して祈祷を行って祈祷料を頂戴した分に
ついては営利活動であり、課税対象となります。
私どもも年末に決算を行い、翌年税務署の仕事始めとともに納税手続きを
致しております。

一人でも多くの方が心願成就されますよう、これからも尽力して参ります。

紗季です。

儀式は屋外で行われます。そのため悪天候の日などは大変苦労いたします。
この時期は、神火を絶やさぬように、繁った神木の天然の屋根を利用したり、
神木の枝同士に大きな布を結んで雨を多少はしのいだり、
「人形(ひとがた)」や、祝詞の書かれた和紙については防水加工したものを用いたりしております。

確立された時期は大変古い「呪術」ですが、実は近代的な「文明の利器」も利用しているのが現実です。

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ご来訪

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先月私どもで復縁祈願の祈祷をさせて頂いた女性の方が、
復縁成就されて恋人となられた男性と共に、本日私どもを訪ねておいでになりました。
何もない不便な社務所ですので、ゆっくりおくつろぎになれなかったことと思います。
儀式期間中の辛かった時期のことや、今後のお二方の将来像についてお伺いすることが出来ました。
たくさんの「福」を分けて頂きました。

紗季です。

本日は嬉しい報告を頂戴しました。
20代女性の方から復縁祈願のご依頼を賜っておりましたが、
復縁成就されたとのご連絡を頂きました。
※ご本人の許可を得て執筆しております。

昨年夏頃にご相談を受け、その後間もなく儀式に着手いたしました。
当初の見込みより大幅に遅れ、約7ヶ月経過してからの成就と相成りました。
儀式期間中は、出口の見えない迷宮を彷徨うがごとく憔悴され、
一時は「もう儀式は取りやめて下さい」とまで嘆願されました。
ただ、ここで止めてしまっては全てが台無しになると説得し、
専願祈祷(特殊祈祷)を継続させていただき、結果として昨日夜になってから
突然相手男性より連絡が来て復縁に至ったとのことです。

呪術の「効力」は儀式と共に蓄積されるものですが、
呪術の「効果」(結果)は、ある日突然として現れるものでございます。

儀式を適切に行うばかりでなく、呪術というものの特性を分かりやすく説明する
ことも祈祷師には求められます。
その「呪術の効力」を無駄にしないためにも、精神的に疲弊している祈願者に対し、
儀式の終了までの間、そして実際に結果として現れるまでの間、どれだけ
心のケアが出来るかということも、これからの祈祷師には要求されることでしょう。

紗季です。

頂戴するご相談メールの中で、最近目に付く言い回しがありまして、
『藁(わら)にもすがる思いでご相談させて頂きました。』
というものです。

大変深刻な状況とお見受けし、心境もお察しするに余りあるのですが、
もしひとつだけ忠告させて頂くならば、相談相手を指して『藁』と表現するのは、
今後避けられた方が良いでしょう・・・。
※『藁』は、頼りなく力無い様子のたとえです。

実際、私自身もまだまだ修行中の身、
胸を張って『大船に乗ったつもりでお任せ下さい』と言えるようになりたいものです。

紗季です。

依頼者様に対して呪術・祈祷というものを説明するときに、
どうしても難解な用語を用いてしまいがちです。

紗季です。

百年に一度の大不況という世の情勢を反映してか、「金運向上祈願」「億万長者願望」といったご相談を数多く頂戴するようになりました。
ご相談者様には申し上げておりますが、残念ながらそういった祈願事は呪術の範疇ではありません。呪術とは人間の心に影響を与えるものでございます。

単に金銭を手にしたいという曖昧な願望ではなく、例えば「商売繁盛のため、良い人脈に恵まれたい」といったように、対人間に置き換えることで呪術で取り扱える祈願事になります。
ただし、こうした私どもの提案を受け入れて下さった相談者様は今のところ居られません。残念なことです・・

自己紹介

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珠玖深原 紗季

「珠玖深原」は職号、「紗季」は祈祷師名。
職階は「祈祷師」。(※)
Web 受付窓口担当。
当ブログ管理者。

心落ち着ける曲は、
 S.E.N.S『Requiem』
 新居昭乃『WANNA BE AN ANGEL』
 セシル・コルベル『朝日の中の旅立ち』
 RINKU(Mistera Feo)カバー『ぼくらが旅に出る理由』

最近の興味・関心事
 国防(国益)


※祈祷をすることができる職階は「神職」「祈祷師」です。(内規)
※神社の職員になることのできる資格を持つ祈祷師を、一般に倣い特に「神職」と呼びます。

1995年 神道系古流呪術・祈祷師拝命
2000年 当会設立に参加
2001年 祈祷代行の Web 受付開始
2002年 Web 受付中断
2007年 祈祷代行の Web 受付再開
2010年 修習生祈祷師(見習い祈祷師)教育担当拝命
2016年 Web 受付中断
2017年 Web 受付再開
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