呪い代行: 2009年10月アーカイブ

紗季です。

「神々は 己の内にあるものを 
  外を祈るは 愚かなりけり」
  
神様はどこに居るかと尋ねられたら、私は迷わずその方の胸を指差すでしょう。
神様は、決して神社や記念碑の中に住み着いているのではありません。常に私たちの中から、私たちのことをそっと見守っています。
一番身近なところに居るにも関わらず、どこかに他に居る神様を探して彷徨うのは愚かであるということですね。

ある物事について深く悩んでおられる方も、実は心の中ではすでにある一定の結論は出ているという方がほとんどではないでしょうか。
悩んでいるときも、神様は私たちの中から様々な影響を与えてくれています。だからこそ、そうして悩んだ末に達した結論には、時間をかけて考えたものほど価値があると言えますね。
相談・助言とは、すでに出されている心の中の結論に対して、あと一歩の後押しをすることなのかもしれませんね。

紗季です。
地元の神社を撮影したときのものです。
神様が写りました・・・・か?
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紗季です。
私どもの組織では、不定期ではありますが、他の宗教の方々とも交流をしております。
先日も、仏教のとある宗派の法主様や、キリスト教の聖職者様、イスラム教の支部長様などと懇親会を行いました。
日本にもイスラム教徒が居るのか? と感じる方がおられるかもしれませんが、結構たくさんおられるとのことです。

私ども日本人は、個々が信条とする宗教は異なるものの、やはりどこか深いところに「多神教観」を有しています。
多神教とはすなわち、私ども神道の基本的な考え方ですが、近年この「多神教観」というものが他の宗教の方々にも見直されていると聞きます。先日も同様の意見が多方面から出ました。
「一神教」同士の立場であれば、当然に異文化の理解を図る上で排他的になり障壁になりやすくなってしまいます。

元日には神社にお参りし、挙式はキリスト教式、葬儀はお寺さんを呼んで、大晦日には除夜の鐘を突く、といった点を指摘して「無節操」と表現する考え方や文化もありますが、
逆に私たち日本人はその「多神教観」に基づく一連の慣習を、むしろ誇りに思うべきであると、改めて考えさせられた一日でした。

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